福音を喜び生きる  イザヤ61:1~3

落ち込んでいる時の良い知らせは、心を生き生きとさせます。

私達にとって最も良い知らせは、キリストが死んでよみがえったという知らせです。

この良い知らせ、つまり福音は罪の支配、人生の絶望から私達を救い出してくれます。

[1]福音の実現のためにキリストは来られました

1節にある「わたし」とは、キリストを指します(ルカ4:16~21)。

BC740年頃、預言者イザヤはユダの人々に国滅亡のメッセージを伝えました。

なぜなら、イスラエルは全能の創造主ではなく、自分たちの手で作った偶像を拝んでいたからです。

また隣国との同盟を頼りとしていました。

しかし、彼は福音のメッセージも伝えました。

そのような民に、キリストが来られて貧しい者に良い知らせを、心の傷ついた者を癒すとイザヤは語りました。

その預言通りキリストは福音を実現するために来られました。

[2]福音の中心は、キリストの十字架です

私たちは病気やけがをしたときは、その原因を探り、それにふさわしい処置をします。

同じように、この世界に蔓延している苦しみ、絶望感、争い、むなしさを引き起こすものは、私たちの内にある罪です。

その罪からの苦しみを癒すために、イエス様は十字架で苦しまれて死んでくださいました。

信じる者には救いが与えられます。

[3]福音は、すべての人に向けられています

2節には「すべての悲しむ者を慰め」とあります。

国や人種、文化、宗教を超えて、キリストの救いは求める者に与えられます。

神様の恵みは、すべての人に注がれています。

[4]福音は私達を新しく生まれ変わらせます

3節に生まれ変わった人の姿があります。

私達は、神に育てられた「神の栄光を現す」植木となります。

罪に支配された自己中心的な人生から、神が支配されるキリストを中心とする人生へと変えられます。

そこに真の喜びがあります。

主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」(詩篇34:8 標語)。

福音の素晴らしさを味わい、その喜びを伝えていきましょう。
スポンサーサイト

されど土の器    詩篇34:20

主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。」(詩篇34:20)

人間の体の骨は子供の時約300個。

大人になると約200個だそうです。

その大事な骨・・・しかし、もろいものです。

その骨を主は守られます。

もろい私達・・・新約聖書でパウロは私達を「土の器」と述べています(Ⅱコリント4:7)。

この「土の器」とは何でしょうか。

[1]もろくて価値のないものです

土器はもろくて壊れやすいものです。

私達もしょせん土の器にすぎません。

鹿児島には美しい高価な薩摩焼があります。

しかし、土を焼いて固めただけの土器は、決して高級なものではありません。

神の手の中にあってこそ、私達は「高価で尊い」存在です(イザヤ43:4)。

[2]神に創造されたものです

神は陶器師です(イザヤ64:8)。

土器の材料は粘土です。

しかし、私達は偉大な陶器師である神によって創造されたものです。

弱くてももろくても、神は土器である私達を守られます。

その器に真の価値を与えて、真の強さを体験できるものとして創造されました。

私達はしょせん土の器、されど神の手による尊い土の器です。

[3]宝物を入れる貴重な器です

古代社会には、金銭や宝物を土の器に入れて保存する習慣がありました。

キリストを信じて救われた私達のうちには素晴らしい宝物であるイエス・キリストが居られます(黙示録3:20)。

そのキリストによって私達は神の「測り知れない力」を体験できます(Ⅱコリント4:7)。

「窮することはありません」

「途方にくれていますが、行きづまることはありません」(同8節)。

「見捨てられることはありません」(同9節)。

死ぬべき体でさえも、やがてキリストの復活のいのちによって、栄光の体に変えられます(同10~11節)。

私達は、しょせん土の器。

されど土の器であることを感謝しましょう。

なぜなら、イエス・キリストという真の宝物を持っているからです。

イエスさまは来てくださる  ヨハネ11:38~45

 ベタニヤにイエス様に愛された3兄弟がいました。

マルタとマリヤ、そしてラザロです。

そのラザロが死にました。

イエス様はラザロが死んで4日目にベタニヤに来られました。

そのような悲しみの場にイエス様が居られるという事は、私達にとって大変大事な事です。

[1]私達がどうにも出来ない問題の中にキリストは来られる。

 イエス様は「墓に来られた」とあります(38節)。

人々は悲しんでいました(33節)。

そこは、「死」という人間がどうにもならない状況の只中です。

泣く以外何も出来ない絶望の中でした(35節)。

そこにイエス様は来てくださいました。

墓には入口があっても出口はありません。

中は真っ暗です。

時々私達はその墓のような状況に落ち込むことがあります。

そんな私達のところにイエス様は来てくださいます。

[2]信じて従う人のところにキリストは来られる

 これは、ラザロが死んで4日目のことでした。

それでもイエス様は、「石(墓の戸)を取りのけなさい」と命じました(39節)。

マルタはイエス様に向かって「(死んで)4日になります」と反論します。

死んで直後だったらまだしも、今はもう駄目ですと言う彼女の頑な心が見えます。

また、どうして自分たちが呼んだ時(3節)に来なかったのですかという不満が感じられます。

これらの思いは、イエス様の言葉を信じて従おうとしない不信仰という心の「石」です。

しかし、彼女たちは墓の石と同時に不信仰の石も取りのけました。

イエス様の言葉に全く従ったのです。

その時、奇跡は起こりました。

本気で信じて従う人のところにイエス様は来られます。

御業をなされます。

[3]信じていない人のところにもキリストは来られる

ラザロはよみがえり墓の中から出てきました(44節)。

その前にイエス様は「この人々が・・信じるようになるために」と言われました(42節)。

また現にラザロの復活を通して、マリヤのところに来ていた「多くのユダヤ人が、イエスを信じた」とあります(45節)。

信じない人が信じる・・・これはもっと大事な奇跡です。

信じているマリヤや私達を通してイエスさまは奇跡をおこなわれます。

私達の回りの信じない人が信じるためにイエス様はこの世に来られたのです。

あらゆる問題を解決すためにイエス・キリストは今居られます

私達を通して、その御業を行われます
プロフィール

sawakei1

Author:sawakei1
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR