正しい者の悩み  詩篇34:19

正しい者の悩みは多い

しかし、主はそのすべてから彼を救い出される」(19節)

ここに二つの真実があります。

キリストを信じて救われても悩みは減らないということです。

次に、神はそのすべての悩みから救ってくださると言うことです。

信じて救われた私達には、さらなる救い(助け)があります。

[1]患難を主と共に忍ぶ救いです

「堪忍袋の緒が切れる」ということわざがあります。

この「堪忍」とは相手の過ちを我慢することです。

その袋の緒は切れます。

堪忍や我慢でなく、キリストが共に居てくださる時にキリストが緒となってくださいます。

十字架を忍ばれたキリストの「忍耐」の緒は切れません。

患難をキリストと共に忍ぶ救いがあります。

[2]患難を喜びに変える救いです

 ペテロ達はエルサレムでキリストを伝えた為に鞭打たれ、迫害を受けました。

その時、彼らは「御名のためにはずかしめられるに価する者とされたことを喜びながら」出て来たとあります(使徒5:41)。

患難を喜びに変える主がおられます。

[3]患難を更なる患難に備える救い

先日鹿児島では震度5強の地震がありました。

最初地響きがあり、やがて大きな揺れが来ました。

あの短い地響きで私はやってくる揺れに備えることができました。

ダビデも、ライオンや熊の襲撃がやがて大男ゴリアテとの対決に役立ちました(Ⅰサムエル17:37)。

患難は私達を備えさせ、さらに強くします。

[4]患難を主の栄光に変える救い

詩篇の記者は自然の驚異を感じて言いました。

「大水のとどろきにまさり、海の力強い波にもまさって、いと高き所にいます主は、力強くあられます」(詩篇93:4)。

大自然も患難も恐ろしいものです。

しかし、それ以上にこれらを創造し、支配しておられる偉大な神が居られます。

患難を静め、救ってくださる主がおられます。

あらゆる患難から救ってくださる主をほめたたえましょう。
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お返しを受ける  ルカ14:12~14

「お返し」の習慣は聖書時代からあったようです。

キリストは「祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者・・・・を招きなさい。

その人たちはお返しができないので、あなたは幸です」と言われました(13節)。

私達は「貧しい者」でした

金銭的には困窮していなかったかも知れません。

しかし、心は貧しさのどん底でした。

なぜなら、キリストしか満たすことの出来ない魂にキリストが居られなかったからです。

私達は自分の真の姿に気づきました。

貧しさに気づきました。

そして、全き信頼を神に寄せる者となりました。

それは幸せな事です。

「心の貧しい者は幸いです。

天の御国はその人たちのものだから。」(マタイ5:3)。

私達は「貧しい者」を招くべきです

12節に食事の「ふるまい」とあります。

それは、御馳走をするという意味と共に、私達の動作や行動を意味します。

私達は周りの人々にふるまうべきです。

なぜなら、私達の回りの人々は魂の貧しさの中で生きているからです。

回りの人々が私達を見て、神を崇めるような「ふるまい」をしましょう。

それはお返しや報いを求めない「ふるまい」です。

自分を喜ばせる生き方ではなく、神を喜ばせる生き方です(ヨハネ12:43)。

私達は「お返しを受ける」者となります

「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。

義人の復活のときお返しを受けるからです。」(14節)。

神を喜ばせるふるまいは、この世では報われないことが多いのです。

やがて復活してキリストの前に出た時、私達はお返しを受ける者となります。

主を待ち望みましょう。

主のお声を聞く時が来ます。

よくやった

良い忠実なしもべだ

あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう

主人の喜びをともに喜んでくれ。」(マタイ25:23)

砕かれた者    詩篇34:18

主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、 

霊の砕かれた者を救われる
」 (詩篇34:18)

「砕かれた者」と「砕かれていない者」の心をエゼキエルは「肉の心」と「石の心」と言い表しました(エゼキエル書11:19)。

砕かれた人は、肉のような柔らかさがあります。

砕かれていない人の心は岩石のように堅いものです。

神の言葉や人々の忠告を受け入れません。

目の前の現実を受け入れることが出来ません。

弱い自分を受け入れず、強がりの人となります。

創世記に出てくるヨセフは生涯を通して、砕かれていきました

①父ヤコブに愛されていたヨセフを妬んだ兄達は、彼を穴に入れて殺そうとしました。

しかし、偶然通りかかった奴隷商人に売り飛ばしました。

ヨセフはこうしてエジプトの奴隷となります(以上創世記37章)。

②売られたエジプトの家の主人の妻から誘惑を受けましたが、彼はこれを退けます。

しかし、逆にその妻から濡れ衣を着せられました。

その結果ヨセフは投獄されました(創世記39章)。

③投獄された牢屋の中で、投獄されていた役人の見た夢を解き明かしました。

夢の通りに役人は牢屋から出されて、王に仕えるようになりました。

しかし、ヨセフから聞いた彼の無実を王に言いませんでした。

ヨセフは無視されたのです(創世記40章)。

このような苦しみの中で彼がしたことは、我慢でも諦めでもありません。

彼が学んだことは、受け入れがたい苦しみを「主にあって」受け入れるという事でした。

誤解されても、無視されても、その中で主を見上げていくことでした。

こうして、彼は、砕かれていったのです。

砕かれた者の得るものがあります

①「幸運」と「成功」です(創世記39:2、3)。

パロの夢を解き明かしたヨセフは、エジプトの宰相となりました。

世にあってきちんとした仕事が出来、証しが立つ者となりました。

②神が共に居られるという平安です(39:21)。

③己を捨てた自由です。

エジプトの宰相となったことを知らずに兄達は飢饉を逃れるためにエジプトに食料を求めてきました。

その時、ヨセフは自分が彼らの弟であることを告げました。

そして言いました。

「神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました・・あなたがたを生きながらえさせるためだったのです。」(45:8)。

彼は兄達を受け入れ、愛をもって仕えられる柔軟な心の持ち主にされていました。

主よ私の心を砕いてください

私の思いではなく、主の御心を喜ぶものとしてください

主に向かって叫べ    詩篇34:17

彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる

そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。」
                                  
                          (詩篇34:17)

主に向かって叫ぶ事が出来るとは素晴らしい事です。

[1]誰が叫ぶのでしょうか

「彼ら」です。

では、「彼ら」とは誰でしょうか?

15節には「正しい者」とあります。

信じて義とされた者の叫びに主は耳を傾けてくださいます。

エジプトで奴隷とされていたイスラエルの叫びを主は聞いてくださいました(出エジプト記3:7)。

罪の奴隷から解放されたいとのパウロの叫びに答えられました(ローマ7:24)

16節には「悪をなす者」とあります。

主は神から離れて悪をなす者の叫びにも答えてくださいます。

「主の御名を呼び求める者は誰でも救われる」とある通りです(ローマ10:13)。

[2]誰に叫ぶのでしょうか

主御自身にです。

国中の初子が殺されるという災いがエジプトに降りかかりました。

その時人々は泣き叫びました(出エジプト記12:30)。

しかし、それは、当てのない空しい単なる叫びでした。

同様に、苦しみの中で主に心を向けないと、不平、つぶやきが空しく口から出てきます。

より良い場所や環境に逃げることも可能です。

人に不満をぶつけることもあります。

しかし、私達は「主に向かって」叫ぶことが出来ます。

[3]誰が叫ばせるのでしょうか

主御自身です。

十字架の上で一人の強盗は「イエスよ」と叫びました。

ザアカイは、汚れた生活から救い出してもらいたいとの声なき叫びから木に登りました。

キリストを見たいと思ったからです。

キリストには、どのような人にも「主よ」という叫びを起させてくださる不思議な力があります(詩篇61:2)。

[4]叫びは苦しい時だけでしょうか

違います。

私達は救われている者です。

主に向かって喜びの叫びをあげるべきです(詩篇100:1~2)。

試練の中で、喜びの中で主に叫びましょう

ボタンの掛け違い   創世記11:1~9

 この11章にバベルの塔の建設の記事があります。

[1]どのようにして塔は建てられたでしょうか

 材料は「石の代わりにれんが」。

そして「粘土の代わりに瀝青(現在のアスファルトのようなもの)」でした(3節)。

創世記1章から人間の歴史がはじまりました。

それは「(自然の)木から取って食べる」生活(2:16)から苦労して「食を得る」生活の歴史です。

さらに人間はれんがや瀝青を作り出し、文明の発達へと進みます。

しかし、一方では罪の発達の歴史でもあります。

現在、便利なものや素晴らしい環境のもとに私達は暮らしています。

しかし、人間の心が神からいよいよ離れていく歴史の中でも生きていることになります。

[2]神はどのようにして塔建設を止めさせたでしょうか

いとも簡単な方法でした(7節)。

「ことば」を混乱させることにより、人々の意志の疎通が出来なくなりました。

結局彼らは建設を断念せざるを得ませんでした。

神は、進むことも可能にされますが、止めることも出来ます。

迫害者サウロの進路を遮って、彼を偉大な伝道者とされました。

淵田美津雄氏の憎しみを止めて、愛の宣教者としました。

[3]なぜ神は塔建設を止められたのでしょうか

建設を志した人々の動機が間違っていたからです。

つまり、ボタンを掛け違えていたからです。

「地に満ちよ」という神のご計画(創世記9:1)に反する不従順な動機です。

また、地を滅ぼすような洪水はないという神の約束に反する不信仰な動機です(創世記9:15)。

彼らは洪水(創世記6~9節)がきても大丈夫なような「頂が天に届く塔」を建て安住しようと思いました。

これは神の前の傲慢な動機です。

人間が作ったものでは防げない心配、災い、死、そして神の裁きが必ず訪れます。

 どんな小さなことでも、主の御心を求めて進みましょう。

 「あなたの道を主にゆだねよ。

主に信頼せよ。

主が成し遂げてくださる
。」
                 詩篇37:5
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