上座を選ぶ  ルカ14:7~11

 キリストは人々が披露宴の上座を選んでいる様子をご覧になられました。

そして言われました。

だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」(11節)。

[1]自分を高くする者とは・・・・

新約聖書では色んな「高くする者」が出てきます。

①「大言壮語する者」(ローマ1:30)。

②「むなしい誇りをもって高ぶる」者(ヤコブ4:16)。

③「暮らし向きの自慢」をする人(Ⅰヨハネ2:16)

これらに共通していることがあります。

それは、自分を印象付けるための自慢です。

人前の満足です。

結局自分が人よりも偉いという事で満足したい心です。

上から目線で人をさげすむ満足です。

これらは、神を離れた人間の心の奥に潜むものです。

いじめの原因ともなります。

[2]神によって低くされる人は幸いです

パウロは、かつて「神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者」でした(Ⅰテモテ1:13)。

そして、それを満足として生きていた傲慢な人間でした。

しかし、彼は低くされました。

謙遜を学びました。

その結果「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。

私はその罪人のかしらです。」と告白しています(Ⅰテモテ1:15)。

キリストご自身も十字架の死にまで父なる神によって低くされました。

しかし、復活して神の右の座に着かれるという栄光を与えられました。

 私達はある時は人々に冷たく非難される時があります。

大失敗をすることもあります。

冷たい言葉を受ける時もあります。

これらは神が私達を低くされる時です。

遜る時です。

喜んで神の取り扱いを受けましょう。

人からではなく神からの栄誉が待っています(ヨハネ12:43)。
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彼らをお赦しください  ルカ23:33~43

主の御顔は悪をなす者からそむけられ

彼らの記憶を地から消される。」(詩篇34:16)

ルカ23章には、ふたりの「犯罪人」がいます。

「犯罪人」とは、この世の法律を破って罪を犯したものです。

「悪をなす者」とは神の律法を破り罪を犯したものです。

ローマ3章には「すべての人は罪を犯したので・・」とあります(23節)。

神の前に、私達全ては犯罪人でなくても、「悪をなす者」であり「罪人」です。

 ルカ23章には様々な「悪をなす者」がでてきます。

[1]ふたりの「犯罪人」(32節)

彼らはおそらく殺人を犯した犯罪人でした。

ひとりの犯罪人は、最後までその罪を認めませんでした。

悪を行っても、それを悪と認めないという罪の恐ろしさがあります。

[2]くじを引いていた兵士たち(34節)

キリストには目もくれず、キリストの持っているものが欲しい人々です。

健康も財産も神が私達に与えてくださったものです。

私達自身の存在も、神が与えたものです。

これらを自分のものにしている「悪をなす者」となっていないでしょうか?

[3]立ってながめていた民衆(35節)

神がなさっていることを「ながめる」とは、何もしないことです。

それは「悪をなす者」となります。

キリストの恵み深さを味わいましょう(詩篇34:8)。

[4]あざ笑っていた指導者たち(35節)

指導者たちはキリストに対する妬みと憎しみから、キリストを殺しました。

憎む相手を殺した満足から来る「笑い」です。無知から来る満足です。

神に対する「無知」という罪人の姿です。

[5]キリストを十字架につけた人々(33節)

彼らは「イエスと犯罪人」を十字架につけました。

神と犯罪人との区別がつきませんでした。

「悪をなす者」とは善悪の真の判断ができない者です。

キリストから見ると「悪をなす者」とは「何をしているのか自分でわからない」存在です(34節)。

そんな私達のために、キリストは「彼らをおゆるしください。」と祈ってくださいました。

私達は神の刑罰の対象から、愛の対象とされた者です。

御子のご支配の中」に移された者です(コロサイ1:13)。

憎しみを超えて  ルカ23:33~43

 昨年NHKスペシャルで「ふたりの贖罪」が放映されました。

アメリカを憎みハワイ真珠湾攻撃の爆撃隊長となった淵田美津雄。

その日本を憎んで日本への初空襲に参加したジェイコブ・ディシーザー。

しかし、二人とも聖書を通してキリストを信じました。

不思議な神の摂理により二人は出会いました。

2人が協力して憎しみを超えてお互いの国に宣教のために生涯を奉げました。

彼らの信仰のきっかけとなった聖書のみ言葉がルカ23章にあります。

父よ。彼らをお赦しください

彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(34節)。

 この事を通して教えられる事があります。

[1]人間は憎しみに勝てません

ちょっとしたことで争いや、憎しみ、憤りに発展する事があります。

放映された番組の中で、淵田さんは「憎んではいけないと頭では分かっている。

しかし、心がついていけないのです」と言っています。

憎しみに限らず、空しさ、誘惑、不安・・・そして死。人間は勝てない敵に囲まれています。

[2]憎しみは破滅を生みます

憎しみやねたみは殺し合いになる危険なものです。

戦争をも引き起こします(ヤコブ4:1)。

[3]憎しみを超える愛があります

当時のユダヤ人の指導者に妬まれ、人々に憎まれてキリストは十字架につけられました。

それらの人々のためにキリストは祈られました。

「父よ。お赦しください」と。

憎しみを超えた愛をキリストは持っておられます。

[4]信じたら憎しみを越えられます

淵田さんもディシーザーさんもその祈りで自らの姿を示され、悔い改めてキリストを信じました。

彼らは憎しみを超えることが出来たのです。

キリストの横につけられた犯罪人も信じた時に変わりました。

憎しみの世界から天国に移されました(42節)。

憎しみ、不安、そしてあらゆる人間の敵に打ち勝ち、乗り越えて生きて行く人生があります

カインの神    創世記4:1~15

 聖書の神は「人が」つくった神ではありません。

「人を」つくられた神です。

人を創造されただけでなく、私達に愛をもって関わっておられます。

今日、そのことを見ましょう。

[1]神は人の心を見られます(4~5節)

最初に創造されたアダムの子であるカインとアベルは神に供え物をしました。

カインは自分の作った作物を、アベルは自分が養っている羊を献げました。

神はカインではなく、アベルの供え物に「目を留められた」とあります。

供え物を献げるのに、アベルは羊の初子の中で最上のものを献げました。

どのような心で献げるか神は見ておられます。

どれだけ立派な仕事をしたかよりも、神はどのような心で行ったかを見ておられます。

たとえ小さなことでも愛をもって人々に関わろうとする私達の心を神は喜んでくださいます。

[2]神は危険を知らされます(6~7節)

妬みから顔を伏せているカインに対して神は言われました。

「罪は戸口で待ち伏せしている」と。誘惑に戸を開くと危険です。

私達を愛しておられる神はその事を示してくださいます。

[3]神は罪を示されます(8~10節)

 神の警告を無視してカインはアベルを野に連れ出して殺しました。

人類最初の殺人事件です。

罪を罪と思わない人間に神は罪を示されます。

否、神だけがその事が出来るのです。

神が人を創造されたからです。

[4]神は罪人を憐れまれます(11~15節)

 罪を犯したカインに対して、その恐ろしさを神は示されました。

その時カインは「私の咎は、大きすぎて、にないきれません」と告白します。

そのカインにでさえも神は憐れみを持って関わって下さいました(15節)。

私達にも同じことが言えます。

つい罪を犯してしまいます。

そして、その後始末で悩みます。

キリストはそんな私達のために十字架について私達の罪を始末してくださいました。

今も私達に語っておられるキリストの言葉です。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい

わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
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