口に見張りを   詩篇34:13

あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな
                         (詩篇34:13)

これは、主を恐れる人(11節)への忠告です。

神様は素晴らしい口と言う器官を人間に与えられました

聖書には以下のように述べられています。

み言葉を口ずさむ(詩篇1:2 )

救いの手段として用いられる(ローマ10:9)

神をほめたたえる楽器(詩篇109:30 ピリピ2:11)

人をほめる器官(箴言27:2)

愛を示す器官(ルカ15:20)

心のバロメーター(マタイ12:34~35)

黙ることで相手を動かす(Ⅰペテロ2:22~23) 

一方、神様の御手から離れますと口は災いの道具となります

口で祝福し心でのろう(詩篇62:4)

軽率に発した言葉でわなにかかる(箴言6:2)

陰口をたたく者となる(箴言16:28 26:20)

口から出るもので人を汚す(マタイ15:11)

口では言い表すが行いでは否定している(テトス1:16)

舌は制御できない(ヤコブ3:3~9)

黙ることで人を無視し、自分の頑なさを隠す(マルコ3:4)

だから、口を守る見張りが必要です。

主よ

私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。」
(詩篇141:3)

これは・・・①「意識」という見張りです。

つまり、私は神の子、主のものであるという意識です。

主が聞いておられるという意識です。

②「良心」という見張りです。

③キリストのみ言葉によって見張るべきです。

主よ。

私の口が素晴らしいものでありますように。

何を語り、いつ黙すべきか、み言葉によって教えてください。

私の口が人々にキリストの香りを放つものとしてください(Ⅱコリント2:14)。
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わたしがいのちなのです  ヨハネ14:1~6

聖書に出てくる弟子のトマスは、私達にとって身近な人物です。

見えないものは信じられないと言いました(ヨハネ20:25)。

キリストは、信じた者のために永遠の神の国に場所を備えに行くと言われました(2節)。

その場所に行く道があることをも示されました(4節)。

しかしトマスは、場所も道も私たちには分かりませんと言いました(14:5)。

そのトマスにキリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と言われました(6節)。

[1]キリストは道です

滅びに行くべきである罪深い私達が、救われて永遠の神の国にはいる道となられました。

[2]キリストは真理です

29才の時に出家した釈迦は、人間は様々な苦しみ、悩みから解放されなければならないことを説きました。

そして、解放するものを真理と呼びます。

哲学では、誤りのない確実なものを真理とします。

アリストテレスは「真理とは、あるものを在ると言い、存在しないものを無いと言うことである」と言いました。

聖書で「真理」と訳された言葉(アレーセイア)は、この世に人間を存在させる根拠(源)という事ができます。

それが、イエス・キリストご自身です。

私達が生きる土台となられました。

[3]キリストはいのちです

いのちあるもは、小さい魚でも川の流れに逆らって上ります。

しかし死んだ大魚は流されます。

キリストは復活されました。

罪に勝ち、死に逆らって生きるいのちを持っておられるからです。

そのキリストを信じる者の中にこのいのちがあります。

神が共に居られることを信じて進んでいけます。

罪と試練の中でこれらに支配されずに生きる事ができます。

永遠の神の国に希望を持って生きることができます。

 キリストはいわれました。

神を信じ(原文:信じ続け)、またわたしを信じ(原文:信じ続け)なさい」と(1節)。

あなたの喜び、貴方の幸せ  詩篇34:12

 先週ヘロデについて読みました。

彼は神を恐れる人ではありませんでした。

この世の一時的な喜びはありましたが、生涯良心の責めで苦しんだと思われます。

あなたの喜び、あなたの幸せは何でしょうか? 

詩篇34章12節から学びましょう。

「いのちを喜びとし・・・」とあります。 

新約聖書には、2つの「いのち」と訳された原語(ギリシャ語)があります。

一つはプスケー:パンを食べて養われる体のいのちです。

もう一つはゾーエー:キリストを信じた時に与えられる魂のいのちです。

また、キリストが死からよみがえられたいのち、神のことばにあるいのちです。

従って「いのち(プスケー)を喜びとする」人とは、体の健康が一番と言う人です。

元気で過ごせることが生きがいであり幸せという人です。

しかし、キリストを信じて生きる人は健康を失っても大丈夫です。

み言葉のいのちから来る力があります。神が共に居られるという平安があります。

「しあわせを見よう・・・」とあります

「見よう」つまり「幸せを見たい」と願っている人です。

有名なカールブッセの詩です。

「山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う。

ああ我人と尋(と)めゆきて、涙さしぐみ帰り来ぬ。

山のあなたになほ遠く幸い住むと人の言う。」

キリストを信じる者は幸いです。

はるか遠くを望まなくても、またどんな素晴らしい境遇や財産が無くても大丈夫です。

キリストが共に居られる「今」が幸せだからです。

「日数の多いのを愛する人」とあります

この世で長生きすることが生きがいという人です。

たしかに幸いなことですが、自分がこの世に存在する意味が無いと気付いた時には絶望しかありません。

私達の人生は、「日数」が問題ではありません。

この世をどのように生きて行くかが大切です。

どこに向かって生きているのかが問題なのです。

キリストに愛され、キリストと共に生きる喜びがあります

キリストのみ言葉に養われて生きるしあわせがあります

翼の下に    ルカ13:31~35

 「聖書に記されてある罪は、すべて自分にもある」・・・そのようなメッセージを聞いたことがあります。

ここに出てくるヘロデ(ヘロデ・アンティパス)は、キリストが誕生した時2歳以下の男の子を殺す命令を下したヘロデ王の子どもに当たります(マタイ2:16)。

実は、彼らの内にあったものをすべての人間は持っているのです。

ヘロデ・アンティパスとは如何なる人物だったでしょうか

①良心の呵責に悩まされていました(マルコ6:16)。

彼は、自分の兄弟の妻と結婚関係にありました。

これは律法に反すると預言者ヨハネに指摘された為にヨハネの首をはねました。

その後キリストのなさることを知って、キリストはヨハネのよみがえりでは・・との妄想に襲われる程自分の罪に悩まされていました。

②ヨハネを憎みながらも、彼の正しさをも認めていました(同20節)。

これが彼の心の内側の姿です。確かに罪は犯した。

しかしそれを指摘されるのは腹立たしい・・・これは、全ての人の内に有る思いです。

③軽々しく言ったことで悪魔の策略に陥れられました(同21~22節)。

彼は、私達の代表です。神よりも人を恐れる心が先立ち、ヨハネを殺す結果となりました。

光に従えない人間の姿がここにあります。

主はそのような罪汚れのある弱い者をご自身の翼の下におおってくださる神です

「ああ、エルサレム、エルサレム。

預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。

それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。」(ルカ13:33)。

主は十字架の死を通して、贖いを「全う」されました(同32節)。

これが私達罪人にとって最も大切な「翼」、つまり福音です(Ⅰコリント15:3~5)。

どんなに反対しても、主は今も全ての人を招いておられます。

過去の罪を後悔するのではなく、悔い改めて救い主キリストを信じることを求めておられます。

お金で買えないもの  ヨハネ12:1~8

この世には、お金では買えないものが多くあります。

信用、経験、時間、健康・・・などです。

それらは、値段のつけられない価値あるものです。

また、その価値を見いだすことも貴重なものと言えます。

マリヤのした行動を見てみましょう(3節)。

ベタニヤに住んでいた彼女は見えない価値を見出す事の出来る幸な女性でした。

十字架に架けられる時が迫っていたキリストにマリヤは「非常に高価な」香油(3節)の壺を割って(マルコ14章)注ぎました。

ユダの言葉によると、それは2~300万円はしたと思われます。

その時代では、香油は香料として使われました。

また、葬儀の時に遺体に塗るものでした。

自分が少しずつ使うために取っておいたその香油を、彼女は惜しげもなくキリストに献げました。

キリストのかけがえのない素晴らしさを見出していたからです。

 この行動に対してユダは彼女を批判しました(5節)。

香油を売って貧しい人々に与えるべきだというものでした。

さらに、彼のこの言葉は自分を隠す偽りの言葉でした。

なぜなら、彼は預かっていた財布から度々盗みをしていたからです(6節)。

 この時、キリストは言われました

「そのままにしておきなさい・・・わたしのためにりっぱなことをしてくれたのです」(マルコ14:6)。

その「りっぱなこと」とは、キリストの「葬りの日のために」香油を使ったことです(7節)。

ユダは、自分の罪深さを知っていませんでした。

お金の価値は分かっていましたが、キリストが自分にとってどのような御方かわかっていませんでした。

マリヤは、自分の罪深さを知っていました。

その自分のためにキリストが十字架に架かり刑罰を受けて下さることを信じていました。

そこから出た彼女の行為は、信仰と感謝に溢れたものでした。

測り知れない主の恵みに感謝しましょう。

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました

それによって私たちに愛がわかったのです
                    (Ⅰヨハネ3:16)
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