この世にない教育    詩篇34:11

「来なさい

子たちよ。

私に聞きなさい

主を恐れることを教えよう」(11節)

 学校の教育も大切ですが、もっと大切な授業があります。

それは「主を恐れる」教育です。

主を恐れることを教えよう

それは、学校では教えない教育です。

ルカ2:52に「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された」とあります。

これは、人間に必要な3つの教育を示すと言われています。

知識を学ぶこと(知育)、体を鍛える体育。

そして、神と人に愛されるための教育(徳育)です。

なぜ親を敬うのか、なぜ嘘をついてはいけないのか。

なぜ人を殺してはいけないのか。

不倫はなぜ悪いのか・・・。

これは世の中では教えません。

聖書は、これらの基本である神を恐れることを教えます。

人間を創造された神の戒めを重んじ、神を恐れ敬う心を養うのが人間の祝福された生活の土台だからです。

来なさい

この祝福された神を恐れる人生へ神は招いておられます。

招きを受け入れる人は幸せな人です。

子たちよ

この神をおそれる学びの受講者は「子たち」です。

それは、ダビデの仲間、キリストを信じた者たちです。

神に愛されている事が分からなければ、神を恐れることは無意味だからです。

世の中では人の目を恐れます。

最近は監視カメラは恐ろしいものです。

神は恐るべき者ではありません。

しかし、神の子は神を恐れる教育を受ける資格と特権に預かっています。

私に聞きなさい

ダビデは、主を恐れる事を教えるにふさわしい人です。

なぜなら、彼は、主を恐れることで成功した信仰の先輩だからです。

同時に彼は失敗もし、挫折も体験した信仰の先輩だからです。
 
日々の生活の中で神を恐れることを学びましょう

神と人に愛される者となるために
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百獣の王か賢い羊か   詩篇34:10

若い獅子も乏しくなって飢える

しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。」 
                        (詩篇34:10)
 あの百獣の王、ライオンでさえも、しかもたとえ若くても飢える事があるというのです。

人間の世界でも強いから強いとは必ずしも言えません。

大丈夫と思っている時に失敗や災いがあります。

しかし信仰によって生きる時、私達は羊飼いであるキリストに従う羊となれます。

その時、弱くても強いという人生が始まります(Ⅱコリント12:10)。 

私達は、弱くても賢い羊として生きる事ができます。

ライオンが「飢える」と言うのは常に飢えるというのではありません

あえて言うならば、「飢えることがある」という事です。

普段は強いライオンです。

しかし、ライオンの真の敵は自分です。

つまり、自分はいつも強いと思い込むことです。

旧約聖書に出てくるサムソンも、自分が神によって強い者であることを忘れました。

1人の女性の誘惑で、その強さの証しである髪の毛を切られました。

彼はその時力を失いまして。

それでも、敵が来た時に「今度も前のように・・」と言って立ち上がったのですが、気付いた時は敗北でした。

賢い羊とは、「主を尋ね求める者」です

そのことについて詩篇86篇1~11節では次のようにあります。

①キリストとの交わりの中で生きる者です。

この箇所に何回も「あなた」という語句があります。

神との交わりの中で生きている者は、神が「あなた」と言う存在です。

つまり、人格的な交わりがあり、祈りがあります。

②主のみ言葉を求めて生きる者です(1節、ルカ4:4)。

③主の御心を求めて生きる者です(11節)。

賢い羊は、「良いものに何一つ欠けることはない」とあります。

欲しいものすべてが与えられるというのではありません。

今与えられているもので満足できるということです。

それは、他の人にも満足を与えるような溢れる満足です。

賢い羊として、キリストについて行きましょう

聖徒たちよ

        詩篇34:9 士師記6章 7章      

主を恐れよ。その聖徒たちよ」(34:9)

この聖句から、様々な疑問が湧いてきます。

自分は主の聖徒だろうか? 

そのように自問自答してください。

キリストを信じた人の答えは「イエス」です。

なぜなら、主が私達に「聖徒たちよ」と語り掛けておられるからです。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。

わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」(ヨハネ15:16)。

キリストを信じた人は、神に選ばれ、神に属する人・・・

つまり神に聖別された主の聖徒です。

ギデオンは周りのミデヤン人を恐れ、隠れて仕事をするような臆病者でした(士師記6:11)。

その彼に主は「勇士よ」と呼び掛けられました(6:12)。

彼は勇士となる様に選ばれ、聖別された神の器でした。

私達が神の聖徒として選ばれたのも同様です。

なぜ神は私達を選ばれたのでしょうか? 

ギデオンは決して有能な器ではありませんでした。

しかし、勇士として「遣わす」神の目的がありました(6:13)。

私達にも、世の人にキリストを示す神の器となるという目的があります。

私達は主によって「任命」された聖徒です(ヨハネ15:16)。

任命された私たちは大丈夫でしょうか

答えは「イエス」です。

なぜなら任命された主が確実なお方だからです。

ギデオンは、わずか300人で圧倒的な大軍ミデヤンに勝利しました。

主こそ誇るべきお方です(士師記7:1~7)。

ギデオンはなぜ300人で勝利したのでしょうか

 彼らの武器は角笛とつぼとたいまつでした。

しかし、彼らは一致して敵に当たりました(7:19)。

そこに、主の特別な働きがありました(7:22)。

一致のあるところに、主が働いて下さいます。

私達一人一人は主の聖徒です。

その私達が「聖徒たち」となって一つとなっているのが教会です。

教会を通して聖霊が働いて下さいます。

主を恐れつつ教会を建て上げる働きに進みましょう。

味わう喜び  詩篇34:8 ヨブ記42:1~6

主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」(詩篇34:8)

人間には食物以上においしいと感じるものがあります。

[1]何を味わうのでしょうか

上記のみ言葉は、英訳では

「味わえ。

見よ。

神が素晴らしいお方であることを」とあります。

私達は神が素晴らしいお方であることを味わう事ができます。

ヨブは、あなたを「知りました」(2節)、「見ました」と言っています。

これは、み言葉を通し、体験を通して「味わいました」という意味です。

「あなた」と呼べる全能の神、親しい神、そして自分を教え導く神を味わいました。

[2]味わうためにはまず食べることです

食事を口にしなければ味わいはありません。

私達はみ言葉を聞き、読み、受け入れることで味わう事が出来ます。

ヨブは、ヨブ記の中で幾度も神に自分の正しさを申し立てています。

エリフはそれをたしなめました(33:12、36:15)。

神はヨブに「聞け」と言われました(4節)。

み言葉を聞いて受け入れることは、素晴らしい主を味わう出発点です。

[3]味わうためには時間がかかります

食事を早々に呑み込んでしまう人は、味が十分分かりません。

私達の教会にフランス料理のシェフを長年務めてきた会員がいます。

彼に言わせると、テレビ番組で料理を一口食べただけで「うまい」というのはおかしいのだそうです。

真の「うまい」は料理を最後まで食べて後に出てくる言葉だというのです。

ヨブが「今、この目であなたを見ました(味わいました)」と言っています(5節)。

その「今」のために、彼は42章の長い道のりを通らねばなりませんでした。

[4]味わうと自分が変わります

食べ物でその人の健康や体力が変わります。

世の中の情報だけで養われますと中身の薄い人間になります。

私達は、「水路のそばに植わった木」です(詩篇1:3)。

み言葉に養われる時に豊かな実を結びます。

偉大な神を味わったヨブは謙遜な人になりました(6節)。

素晴らしい神を味わう喜びがあります
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