まことの安息  ルカ13:10~17

人間を創造された神は、人間が幸せに生きるのに必要な規定を定めました。

それが十戒です。

その一つに、安息日の決まりがあります。

6日の労働の後に7日目(安息日)は休みます。

そして、神と交わり礼拝し、真の喜びと力を得て過ごすようにされました(出エジプト記20:9~10)。

その安息日にキリストは、ユダヤ教の会堂で教えておられました(10節)。

そこに18年間も腰が曲がって伸ばすことの出来ない女性がいました(11節)。

キリストはその女性を呼び寄せました。

「あなたの病気はいやされました」と言って、手を置かれました。

すると、女性はいやされて「神をあがめた」とあります(12~13節)。

この女性に目を留めましょう

彼女は、病気と言う苦しみの中で、安息日の礼拝を続けていたと思われます。

単に、集まりに出席するだけでなく、キリストの呼びかけに従いました。

人目を気にせず、キリストの手の届くところにまで進みました。

その信仰によって彼女は癒されただけでなく、神をあがめるという安息日の目的を果たしました。

彼女はまことの安息を得た人です。

会堂管理者に目を留めましょう

彼は、キリストが安息日の規定を破ったと考えて、キリストのしたことに抗議しました(14節)。

彼に賛同した人々もいたようです。

彼らは、大きな間違いを犯しました。

規定を守らねばならないという熱心さの中で、何のための規定かを忘れています。

現代人も大きな間違いを犯しています。

仕事をしなければならないという熱心さの中で、何のために仕事をしているかを忘れています。

まことの安息を失っています。

キリストに目を留めましょう

サタンに縛られている私達を解放してくださいます(16節)。

そして、まことの安息を与えてくださいます。

キリストのみ業を見た人々に目を留めましょう

反対したことを「恥じ入り」キリストの「輝かしいみわざを喜んだ」とあります(17節)。

主を礼拝しましょう

そして、この世に於いてまことの安息を喜びましょう。

「もはや、のろわれるものは何もない」という、永遠の御国の安息を待ち望みましょう(黙示録22:3)。
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共に歩む道  ローマ15:1~7

神の宝物である私達の歩みは尊い道です。

その尊さがこの聖書の個所にあります。

それは、共に歩むという「一致」の道です。

[1]聖書で言う「一致」とは

「力のない人たちの弱さをになうべきです」(1節)。

「隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです」(2節)。

「互いに同じ思いを持つように」(5節)。

「心を一つにし、声を合わせて・・父なる神をほめたたえる」(6節)。

「互いに受け入れなさい」(7節)。

これらのみ言葉を読んで行きますと、「一致」の敵が見えてきます。

それは、「自分」です。

人の弱さよりも自分の弱さを主張しやすい自分です。

相手が受け入れてくれることを望み、自らが受け入れることを拒む自分ではないでしょうか。

[2]「一致」のために聖書には備えがあります

①一致の土台があります。

「ご自身を喜ばせることはなさらなかった」イエス・キリストです(3節)。

人と一致できない原因は、神との不一致、つまり神との断絶という罪です。

その罪をキリストは担われました。

「キリストにふさわしく」つまりキリストを信じ、従っている限り「キリストにふさわしく」生きていくことは可能です(5節)。

その時、全ての人との一致の交わりがあります。

②一致の目的があります。

世の中には「一致団結」という言葉があります。

目的達成のために多くの人が一つとなります。

しかし、目的が達せられると一致も消えていきます。

災害の苦しみを乗り越える目的のために、素晴らしい一致があります。

しかし、苦しみが無くなると、残念なことに一致も薄らいできます。

聖書には無くならない永遠の目的があります

それは「神をほめたたえるため」(6節)。

そして「神の栄光のため」(7節)という目的です。

 教会も、夫婦や家族も土台が必要です。

神をほめたたえると言う目的を失ったら崩壊の危険があります。

神の栄光を求め、神をほめたたえる尊い道を共に歩ませていただきましょう。

しもべは聞いております  Ⅰサムエル3:1~10

私達は、神の前に高価で尊い存在です。

ですから、その歩みも貴重な道です。

み言葉を聞きながら歩む道でもあります。

[1]神は語り掛けます

神は「サムエルを呼ばれた」とあります(4、6、8節)。

今でも私達一人一人に語り掛けてくださいます。

サマリヤの女性にも「あなたと話している私がそれです」と語られました(ヨハネ4:26)。

群衆の中のザアカイに呼び掛けられました(ルカ19:5)。

[2]神の声を聞きましょう

キリストを信じて、神のいのちを頂いた私達は神の声が聞こえる者となったのです。

「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、

また、いろいろな方法で語られましたが、

この終わりの時には、御子(キリスト)によって、私たちに語られました。」(ヘブル1:1~2)。

[3]神の声を聞き分けましょう

サムエルは、神が自分に語り掛けられたのに、勘違いして祭司エリの所に行きました。

神の声なのに、人の声に聞こえたからです。

逆の勘違いもあります。

人の声なのに、神の声に聞こえることがあります。

ツロとシドンの人々はヘロデの演説を聞いて「神の声だ」と言いました(使徒12:22)。

神の声を聞くべきです。

人の声は注意が必要です。

悪魔の声は聞き流しましょう。

[4]神の声に聞き従いましょう

「しもべは聞いております」(10節)の「聞く」は聞き従うという意味です。

神の言葉には力があります。

ローマの百人隊長はその事を知っていました(マタイ8:8)。

神の言葉に従う時、立ち上がって行こうとの力が与えられます(ヨハネ5:8)。

私達は、神の言葉で生かされ、満ち足りる尊い存在です。

主よ。お話し下さい。しもべは聞いております」(9節)

あなたは神の宝物(3) ヨハネ4:5~29

聖書の「とりなし」と言う語には「出会う」「向き合う」との意味があります。

キリストは、私達が世の何ものよりも神と向き合うようにとりなしておられます。

サマリヤの女性も同様です。

[1]出会い・・第一ラウンド(7~14節)

彼女に「水を飲ませてください」とキリストは語り掛けました。

しかし、彼女は「あなたはユダヤ人なのに・・」と反発します。

次に、キリストは「生ける水」を与えると言われました。

彼女はさらに反発します。

「私たちには先祖ヤコブが掘った井戸があります」と。

キリストは霊的いのちの水を語られました。

しかし、彼女の関心はこの世の水、この世の満足です。

このかみ合わない会話の中で、彼女の問いかけが「あなた」から「先生」に変わっています。

キリストの内に何か自分に無いものを感じたのでしょうか。

[2]出会い・・第二ラウンド(15~26節)

「私が与える水は、渇くことがありません・・」とのキリストの言葉に彼女は初めて反応しました。

「その水を私にください」(15節)。

勿論キリストの言われる「水」を彼女は、理解できていません。

しかし「ください」とはじめてキリストの前にへりくだりました。

さらに彼女の私生活のことについてのキリストの鋭い質問が続きます。

その時「私には夫はありません」と彼女は答えました。

しかし、彼女はこの時、素直に自分と向き合いました。

真に自分を満たすものが無いために、不品行に陥っていた事を認めました。

そして、遂に目の前に居られる救い主イエス・キリストと出会う事になります。

[3]出会い・・第三ラウンド(27~30 39~42節)

自分と向き合い、キリストと出会った彼女は救われました。

そして、一番自分が向き会いたくない町の人々との出会いを求めて行きます。

彼女が昼間に水を汲みに来ていたのも(6節)人々に会いたくなかったからです。

この女性を通して、町の人々とキリストとの奇跡的な出会いが実現しました。

私達は高価で尊い神の宝物です。

ですから、自分と向き合う事ができました。

キリストとの出会いによって救われました。

そして、人々がキリストと出会うための取り成し手となるのです。
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