旗じるしは愛  ルカ12:49~59

この聖書の個所に様々な「火」が出てきます。

[1]聖霊の火

「私が来たのは、地に火を投げ込むためです」(49節)。

ルカ3章でも同じことを言われました(16~17節)。

この火は信じる者に注がれる聖霊のことです。

ペンテコステの日に聖霊は来られました(使徒2:1)。

聖霊は私達をキリストの証人とします(使徒1:8)。

神の子として歩ませてくださいます(ガラテヤ5:16)。

[2]十字架に向かうキリストの内にあった火

その聖霊が降るためには、キリストは十字架という「バプテスマ」を受けなければなりませんでした。

「それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう」(50節)。

その十字架は、罪を完全に贖うことの出来る救いです(58~59節)。

その贖いを成し遂げなければとのキリストの内にある思い・・それは燃える火のような思いです。

私達はそのキリストによって罪を取り除かれた者となりました(ヨハネ1:29)。

[3]分裂の火

キリストは「地に平和を与える」ためではなく、「分裂」を与えるために来たと言われました(51節)。

キリストを信じ、本気で従う時に周りの反対に会う事があります。

それは火のような戦いです。

あなたはキリストに従うでしょうか。

それとも周りの人々と波を立てないで、いわゆる「平和」に過ごす道を選ばれるでしょうか。

信じないものには審きの火が待ち受けています(58~59節)。

信じ従う者には、さらに試練の火があります。

その中で私達が神の作品として完成されていきます(Ⅰペテロ1:6~7)。

そして、再び来られる主とお会いできます。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」

罪の完全な解決を準備して、信じる者を救ってくださる神の愛があります。

神の旗じるしは愛です(雅歌2:4)
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あなたの宝物   Ⅱコリント4:5~8

私達は神から与えられた様々な財産の管理者です(Ⅰペテロ4:10)。

最大の財産は、イエス・キリストです。

この御方が私達の内に居られます。

私達の宝です(7節)。

[1]イエス・キリストは私達の真の宝です(7節B)

世の宝物には偽物があります。

しかし、キリストは真の宝です。

なぜなら、「計り知れない力」を持っておられるからです。

この「力」という語は「デュナミス」というギリシャ語です。

使徒1:8のキリストの証人となる「力」と同語です。

これはダイナマイトの語源です。

私達は、四方八方から苦しめられることがあります(8節)。

しかし、キリストは死を破った力を持って困難を撃破してくださいます。

私達は「圧倒的な勝利者」となれます(ローマ8:35~37)。

[2]イエス・キリストは持ち腐れの宝ではありません(5~6節)。

なぜなら、神は私達を通してこのキリストを輝かせてくださるからです。

この世の宝物は自分だけで隠し持っていたいものです。 

いわゆる宝の持ち腐れです。

キリストは隠し持つ持つものではなく、世に輝かせる宝です。

欲しい人に分け与えることができます。

キリストは、人々を罪の奴隷から解放する唯一の力を持った救い主です(ヨハネ8:36)。

[3]イエス・キリストは器を選ばない宝です(7節)。

高価な物であればある程、その入れ物も高価なものです。

桐の箱に入っているだけで、中身が貴重なものであることが分かります。

しかし、キリストは逆です。

マリヤの胎の内に宿られました。

むさ苦しい家畜小屋に誕生してくださいました。

罪人呼ばわりされていたザアカイの家に来られました。

私達は、神を宿すほど高価な存在ではありません。

卑しい見栄えの無い土の器です。

イエス・キリストはそのような私達の中に入ってくださる神です。
 
私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです」(7節)。

主よ。

土の器に過ぎない者の中に来てくださったことを感謝します。

ご自身の栄光を表す者としてください。

あなたは管理人(2)   Ⅰペテロ4:10

先週は、「忠実な賢い管理人」について学びました。

私達は互いに仕えあうために生かされています。

そのために、能力や健康、救われた恵みなどの財産を神から与えられています。

これらを管理、つまり保持して正しく利用することが大切です。

私達を「互い」にする障害の一つは間違った比較です。

[1]間違いやすい比較があります(ルカ18:11 ヤコブ4:2)。

この世では、個人の為した成果が比較されます。

競争の世界です。

しかし、これがエスカレートしますと妬みと高慢に陥ります。

[2]正しい比較があります(民数記13:25~33)。

モーセに命じられてイスラエルの代表12名が荒野からカナンの地を探りました(25~27節)。

帰ってきた10名はその地を悪く言いふらしました(28~29節)。

カナンの地の強い民を見て、自分たちが「いなごのように見えた」からです(33節)。

単純に人と自分を比べると失望します。

しかし、他の2名つまりヨシュアとカレブは違いました。

カナンの地に住む民に関係なく進んで行こうと言いました(30節)。

あるデボーションの書物に“10名は、自分と強い人を比べた。

しかし、ヨシュアとカレブは神と強い人を比べた。”

とありました。

ヨシュアたちは賢い比較をしました。

私達の目の前にある如何なる問題も、神の偉大さに比べたら、取るに足らないものばかりです。

キリストは言われました

 「それは人にはできないことです。

 しかし、神にはどんなことでもできます」(マタイ19:26)。

[3]神は一見“不公平”と思われることをされます(マタイ20:5)。

私達放蕩息子を赦し、愛されます(ルカ15章)。

あわれみ深いからです。

人間を男と女に区別して創造されました(創世記1:27)。

夫婦となって一つとなるためです。

貧しい者と豊かな者をこの世に送られました。

助け合うためです(箴言22:2)。

自分と人に与えられた神の恵みを思い主の御名を賛美しましょう

互いに仕えあいましょう(ヘブル10:24)
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