祈りは聞かれる(2)   マタイ6:5~8

 祈りは聞かれます。

ですから私達は祈るべきです。

そのために私達が知っておくべきことがこの聖書の個所にあります。

[1]祈りの場所があります(5~6節)。

「戸をしめて、奥まった部屋に入り」祈りなさいとあります。

戸を閉めると外の世界から遮断されます。

祈りを邪魔する様々なものを遮断した部屋を心の中に作りましょう。

ハバククは、イスラエルがバビロンに捕囚されるという苦難を知らされて祈りました。

その時、彼を不安が襲いました。

「はらわたはわななき・・私の足もとはぐらつく・・」と言っています(ハバクク3:16)。

しかし、彼は祈っても駄目・・という不信仰な思いに戸を閉めました。

祈り続けました。

平安が与えられ「私の主、神は、私の力」と神を賛美しています(同19節)。

[2]祈りの言葉があります(7節)。

祈りの言葉の繰り返しで祈りは聞かれるのではありません。

言葉の数の多さではなく、神が求めておられるのは単純な信仰の祈りです。

エリヤがカルメル山で天からの火を求めた時もそうでした。

バアルの預言者たちは叫び続け、体を傷つけて熱心に祈りました。

しかし、エリヤは「主よ。私に答えてください・・

あなたこそ神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください」と一言祈りました。

エリヤの祈りは答えられました(Ⅰ列王18章)。

[3]祈りの出発点がある(8節)。

「あなた方の父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられる」とあります。

神は、私達に問題が起こることを許され、ご自身の計画の中に入れておられます。

そして、私達を祈らせようとしておられます。

祈りの出発点は、神ご自身です。

祈りを通して私達は、心配しておられる神に心を向ける事ができます。

そして、全てをご存じの神に委ねることができます。

 祈りは聞かれます

奥まった部屋に入り神の前に出ましょう。
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祈りは聞かれる  ヨハネ15:11~18

「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(16節)。

祈りは聞かれます。

なぜなら、私達は「わたし」と言われる「キリスト」の御名によって祈る特権が与えられています。

その御子キリストの名による祈りを父なる神は放っておけません。

そのようにキリストを信じた私達は、素晴らしい存在です。

この世にあってキリストに根を張り、信仰の幹につながった枝を通して実を結ぶ木とされています。

[1]信仰の土台はイエス・キリストです(11~15節)。

キリストは私達を「友」と呼んでくださいます。

友である証拠に、ご自分を犠牲にして、私達を活かしてくださった(13節)。

信仰生活とは、このキリストに信仰という根をおろして生きることです。

そして、愛し合う事ができます(12節)。

木は根から養分を吸収します。

私達もキリストの持っておられるものを吸収できます。

聖書を読むことです(Ⅰペテロ2:2)。

祈ることです。

キリストを伝える事です。

礼拝を中心とした教会の交りです。

[2]信仰の幹は成長します(18~19節)。

メキシコの湖に生息するウーパールーパーは、生涯幼生の姿で成体形がありません。

しかし、クリスチャンには成長した姿があります。

信仰の幹は神の恵みと世の嵐の中で成長します(ヨハネ16:33)。

[3]信仰の木は実を結びます(16~17節)。

「あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るため」とあります(16節)。

この命令を受けた弟子たちは福音を宣べ伝えました。

その実の一つが2000年経って救われた私達です。

また、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」などの「残る実」を結ばせてくださいます(ガラテヤ5:22)。

神は祈りに答えられます。

自らのために、人々のために祈りましょう。

何時までも残る実を結ぶために。

みことばの力  ルカ4:31~44

 ルカ4章は、キリストが悪魔に試みられた記事から始まります。

そこに悪魔の3つの誘惑が記されています。

共通して言えることが2つあります。

キリストはどのような悪魔の誘惑にも勝利された事です。

そして、もう一つは、キリストはみ言葉によって悪魔に対抗されたという事です(1~13節)。

み言葉には

[1]力があります

この世で受けるあらゆる誘惑や恐れに対して有効な力があります。

私達は、見えないみ言葉の力よりも見える物や頼りになる人が力になると思いがちです。

旧約聖書にある巨人ゴリアテもそうでした。

しかし、ダビデは違いました。神のみ言葉を信じ、そのみ名によってゴリアテを倒しました(Ⅰサムエル17章)。

[2]権威があります(31~32節)

ルカ4章32節に「人々はその教えに驚いた。

そのことばに権威があったからである」とあります。

権威ある言葉には、本当だ、本物だと信じさせる力があります。

キリストのことばをカペナウムに住む人々は聞きました。

初めてキリストのことばを聞く人々でした。

しかし、彼らはその権威あるみことばに驚いたのです。

みことばが本物だからです。

キリストのことばは信じるに十分な神のことばです。

[3]結果があります(38~39節)

みことばの権威を裏付けるものがあります。

それは、キリストのみことばには結果が伴うという事です。

「汚れた悪霊」に向かってキリストは「黙れ」と命じました。

大声でわめいていた異常な人が癒されました。

キリストは、ペテロの姑を襲っていた熱をしかりつけました。

姑は癒されて直ぐにもてなしを始めました。

聖書のみことばは、神のことばです。

力があり、権威があり、必ず言われた通りに形に表れます。

み言葉に支えられた日々の歩みでありますように。

返事をなさる神 (2)  詩篇91篇

 先週、私達の信じている神には目、耳、口、そして人の痛みが分かる心があることを話しました。

15節にありますように、

[1]神は「彼に答えよう」と言われます

なぜ答えられるのでしょうか?

[2]「わたしを呼び求めれば」つまり、神を避け所とする私達が呼び求めるからです

ではなぜ私達は神に呼び求めるのでしょうか?

それは、神が呼びかけたい、ごく親しいお方だからです。

その親しさはどこから来るのでしょうか?

イエス・キリストの十字架の血潮によって私達の罪が赦され、私達が神との新しい関係になったからです(Ⅱコリント5:17)。

では、神はどのような返事をされるのでしょうか?

[3]「わたしは苦しみのときに彼とともにいて」

神からの返事、つまり祈りの答えはすぐに苦しみがなくなるとは限りません。

神の返事は、私達が祈った事に対して「はい」だけでなく「待て」もありますし「ノー」もあります。

この詩篇の記者は「恐ろしい疫病」つまり人間の手に負えない苦しみを体験しました(3節)。

「夜の恐怖」、つまり正体の見えない、原因の分からない苦しみに襲われたこともありました(5節)。

しかし、「恐れない」という確信がありました(5節)。

恐れるものがそこにあるのに「近づかない」「ふりかからない」という不思議な体験をしました(5,7節)。

これが神の下さる返事です。

神は常に「共にいる」という返事をしておられます。

神に呼び求める者には、神が「共にいる」という平安があります。

これが最高の返事です。

祈りを通して私達が教えられる事は何でしょうか?

[4]「彼に誉れを与えよう」

世の有名人にメールして、もし返事がきたらそれは誉れなことと人は思います。

しかし、全地の王である神が私達の叫びに応えてくださいます。

何と光栄なことでしょう。
 
共におられる主に心を向けましょう。祈り求めましょう。
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