クリスマスの安息  マタイ11:28~30

もうすぐクリスマス! クリスマスどこでする?・・クリスマスの時期の世間の声です。

クリスマスは、人間が「する」のではなく、神がしてくださった大事なイベント(出来事)です。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます」(28節)。

これが神のしてくださったクリスマスです。

[1]疲れ、重荷を感じる姿でキリストが来られました

天使が「疲れた人・・」と言っても、関係ないと思います。

また病気や疲れを知らない人が「休ませてあげよう」と言っても、その言葉は私達には届きません。

キリストは疲れ、主の恐れを感じる体を持ってこの世に来てくださいました。

[2]私達が神に来ることができる近くまでキリストは来てくださいました

キリストははるかな天からこの世に来られました。

預言者たちの預言、ヨセフへの配慮(マタイ1:20)、マリヤの献身(ルカ1:38)を通して来られました。

そのキリストをヘロデ王は殺そうとしました(マタイ2:13)。

悪魔はキリストを誘惑し、堕落させようとしました(マタイ4:1)。

それらのすべての問題を克服してキリストは私達のところに来られました。

身近なところでキリストの声が聞こえるようになりました。

ザアカイに対しては、木の下まで来られました。

ザアカイがキリストのことばを聞いて受け入れることができる距離にまで来られたのです。

[3]キリストは真の安息を与えるために来られました

どのような安息でしょうか? 

病気や苦しみがない安息ではありません。

それは「罪から救ってくださる方」(マタイ1:21)だから与えることのできる安息です。

罪が赦され、神との交わりが出来るようになる安息です。

神が共におられるというインマヌエルの安息です。

 すべての重荷をイエス・キリストにお委ねして、インマヌエルの神と共に歩みましょう。

クリスマスの安息があります様に
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罪から救ってくださる方   マタイ1:18~25

「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。

この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」 (21節)。

イエス・キリストは罪から私達を救うために来てくださいました。

[1]罪とは・・

人間は悪い事を行なう元となる罪(ギリシャ語:ハマルティア)を持っています。

この「罪」は神に背く、あるいは無関心という人間の心の奥底に潜むものです。

全ての人に存在するものです(ローマ3:23)。

そしてその人を占領して人間を「罪の奴隷」(ヨハネ8:34)とします。

罪は恐ろしいものです。

[2]罪を意識させるもの・・

それは旧約聖書にある「殺すな」「愛せよ」というような「律法」です(ローマ3:20)。
良心とも言えます。

運転者にとっての交通規則のようなものです。

しかし、どんなに罪を意識しても人間はそれを守ることができません。

逆に、一旦禁止されると誘惑されて逆らいたくなります。

ここにも罪の恐ろしさがあります。

[3]罪の結果は・・・

心がかたくなになります(ヘブル3:13)。

つまり堕落です。初めて罪を犯すと苦しみます。

しかし、だんだんと無感覚になってしまいます。

このまま進みますと罪は「死」を生みます(ローマ6:23)。

何よりも恐ろしいのがこの罪です。

[4] 「罪から救ってくださる方」が来られました・・・

これがクリスマスです。

イエス・キリストは私達を罪から救うために来られました。

罪は「ぬぐい去って」いただけます(使徒3:19)。

「洗い流し」ていただけます(使徒22:16)。

「きよめ」ていただけます(ヘブル1:3)。

「おおわれ」ます(ローマ4:7)。

「解放され」ます(ローマ6:18)。

「赦され」ます(マタイ9:2)。

つまり、神は罪を徹底的に解決してくださいました。

 「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました

この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」(コロサイ1:13~14)。

神の御子イエス・キリストはあなたにとって最も大事な問題、罪と死の解決をするために来られた救い主です。

ザアカイのクリスマス  ルカ19:1~10

キリストは「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」と言われました(10節)。

これが聖書のクリスマスです。

[1]キリストは人となって来られました(1節)。

歴史上存在したエリコの町を創造者である神が人となって歩かれました。

エリコの町の多くの人々はこのことに気付いていなかったと思われます。

ザアカイは真のクリスマスを体験しました。

キリストが見える形で来られたからです。

神はザアカイにそのキリストを「見たい」という思いを起させました。

[2]キリストは失われた者を捜しに来られました(4~5節)。

キリストはザアカイを捜しておられました。

だから立ち止まり、隠れているザアカイに呼び掛けられました。

探し物の上手な人は、立ち止まって捜します。見えないところに目を向けます。

そして、捜す人は呼び掛けます。

キリストは「ザアカイ」を捜しておられたのです。

[3]キリストは失われた人を救ってくださいました(6~9節)。

小さな子供が親から離れると迷い子になるように、私達をお造りになった神を離れた人は「失われた人」です。

「失われた人」つまり私達は何を失っていたのでしょうか?

イザヤ43:4に

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

とあります。

神に創造された尊さを人間は失いました。

ザアカイのように神が共に居られるという祝福と平安を失いました。

そして、財産や地位で豊かさを求めるようになりました。

しかし、結局空しさが残ります。

それで、彼はさらに人々から脅し、ごまかしてまでも財産を手に入れるようになりました。

ザアカイの姿・・それは神を離れた私達の姿です。

キリストの呼び掛けに応じたザアカイは救われました。

だまし取った財産を人々に分けようという人に変わりました。

キリストは出会いで人を変えることの出来る救い主です。

キリストを受け入れた人は、潔い神との交わりの中で生きていけるようになります。

ザアカイのクリスマス・・・それはあなたのクリスマスです

救い主が来られる  ルカ19:1~10

キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた
(Ⅰテモテ1:15)。

神が人となってこの世に来られました。

罪人を救うために来られました。

これがクリスマスです。

「救い」とは何でしょうか? 

キリストを世に紹介するヨハネが誕生した時、父ザカリヤが預言した聖句(67~80節)の中に書いてあります。

救われた人は・・・

[1]神の前にきよく、正しく、恐れなく神に仕えることができます(74節)。

アメリカの大統領が演説で「Yes we can(私達はできる)」と言った時、聴衆は感動しました。

しかし、潔い生活や正しさも生まれながらの罪人には「We can’t(出来ません)」です。

しかし、救い主であり、きよめ主であるイエス・キリストを信じた私達にキリストは言われます。

「Yes you can (あなたは出来る)」と。

[2]罪の赦しを受けます(77節)。

神に関して、人は3種類に分けることができます。

①神なんか知らない。

関係ないと言う人。

②神は怖いと言う人

③私は神に愛されているという人です。 

問題は「罪」をどのように捉えているかです。

罪を認め、キリストを信じますと赦されたという信仰に立てます。

そのような人にとって神は天のお父様と呼びたいお方です。

その父なる神に愛されていることが分かるからです。

[3]神の光の中を歩むことができます(79節)。

暗い中を手探りで歩くと転びます。

神のみ言葉なしに生きる時、人間は迷います。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)。

[4]敵の手から助けられます(74節)。

人類の敵は、病気でしょうか? 

貧困でしょうか? 

先週お話しいたしましたザアカイの敵は財産でも地位でもありませんでした。

敵は彼の内にある神に従わない意志です。

そして、罪に向かおうとする心です。

それらを操ってザアカイを神から離そうとしている悪魔です。

彼はキリストを信じて救われました。

財産や地位に支配されていた人生から解放されました。

キリストに助けてもらい解放されますと、病や貧困の中でも神を賛美して行けます。

与えられた財産を主の御心に従って使いたいとのきよい思いが与えられます。

クリスマスはキリストが救い主となって世に来られた事です
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