私のようになって下さい(2) 

ガラテヤ4:19   5:16~25

パウロはガラテヤの信徒に「わたしのようになってください」と言いました(12節)。

彼にこのような確信を与えられたのは、彼の内にある聖霊です。

聖霊は彼を救い、変え、そしてキリストの形を彼の内に造っておられたからです(19節)。

父なる神はキリストをこの世に遣わされました。

そのキリストは、人間の姿でこの世に来られました。

聖霊は、信じる人の中に内住する姿で父なる神によって遣わされました。

これがペンテコステです(使徒2章)。

信じる者は聖霊の宮であり、「神の神殿」です(Ⅰコリント3:16)。

ガラテヤ5章で、聖霊は私達の内にあって、ご自身の意志をもって働かれることが分かります。

[1]歩ませる(16節)。

かつて私達は神の前を歩くことができず、「滅びの穴」に沈んでいました(詩篇40:1~2)。

神はそこから私達を引き上げ、神の子として歩めるようにしてくださいました。

[2]導かれる(17~18節)。

「導く」というギリシャ語には「誘う、心を奪う」という意味があります。

19~21節に「肉」とあります。

これは神(聖霊)を内に宿していない人間の感情や理性のすべてです。

かつては私達はその肉に心奪われて生きていました。

しかし、内におられる聖霊はキリストに心向けさせてくださいます。

[3]実を結ばせる(22~23節)。

「実」とは行いです。

肉に従って生きていた時の行いは不品行、争い・・ねたみ・・などでした。

しかし、聖霊は私達に「愛、喜び、平安・・・柔和、自制」の実を結ばせてくださいます。

私達のうちにキリストが「形造られ」ていくのです(4:19)。

[4]進ませる(24~25節)。

16節の「歩む」は個人としての行いですが、「進む」は「一列になって進む」という語です。

聖霊は信じた者達を一つにし、神の国に向かって進ませます。

教会を建て上げます。

「互い」の敵である争い、憎しみは十字架に取り去ってくださいました(24節)。

「御霊に導かれて、進もうではありませんか」(25節)
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私のようになってください(2) ガラテヤ4:12~20

私達は人にものを頼むときは一生懸命です。

しかし、人の願いには案外無頓着の時があります。

パウロはガラテヤの信徒に「御願いです」と言いました(12節)。

パウロを通してキリストが私達に願っていることに耳を傾けましょう。

[1]「わたしのようになってください」(12節)。

普通私達はあの人のようになりたいと思います。

しかし、パウロは大胆に「私のようになってください」と言いました。

それは、キリストがこんなにも私を変えてくださったという確信があるからです。

パウロはかつてはユダヤ教に熱心でした。

その熱心さが誇りでした。

しかし、キリストを信じた時に宝と思っていたものを捨てました(ピリピ3:8)。

あなたも私のようにキリストによって変えられて欲しいというパウロの願いです。

[2] キリストを信じた頃の自分を思い起こしてほしい(14節)。

彼は何かの都合で第2回伝道旅行の際、ガラテヤに寄らざるを得ませんでした(使徒16:6)。

そのパウロを人々は「神の使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように」迎えました(14節)。

しかし、やがてパウロそのものが見えてくると彼らの信仰はゆがみ、

パウロの語る真理に反発するようになりました(15節)。

私達は人を通して語られる神のメッセージに耳を傾けましょう。

[3]キリストにある喜びにあふれてほしい(15節)。

それは「愛をもって仕える」喜びです(5:13)。

パウロは目が不自由だったと言われます。

そのパウロの目になってでもキリストに仕えたいとの喜びがガラテヤの信徒達にはありました。

キリストを常に前に置き、この喜びを持ち続けましょう。

[4]「あなたがたのうちにキリストが形造られてほしい」(19節)。

「私のようになって欲しい」というパウロは、

決してガラテヤの信者の教祖のような存在にはなりませんでした。

彼らの目をキリストに向けさせました。そしてキリストのようになることを求めました。

私達の求める姿は、キリストの姿です。

そして、私のようになって欲しい、と人々にキリストを証ししましょう。

やもめの幸い   ルカ18:1~8

裁判官に求められることは、公正と厳格さです。

しかし、キリストの時代には「神を恐れず人を人とも思わない」裁判官がいたようです(4節)。

その裁判官に自らの保護を訴えてきた女性がおりました。

やもめとなり、残された僅かな財産を悪い男に騙し取られたのでしょうか。

頼れるものは何もないという中で、残された道は、その残酷な裁判官に直訴することでした。

幸いなことに、そして意外なことにその裁判官は彼女を正当に扱ったとあります。

理由は、彼女が「ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない」ということでした(5節)。

主がこのたとえを通して教えておられることは何でしょうか?

「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民(神の民)のためにさばきをつけないで」放っておかれることはないということです(7節)。

私達は自分の思う通りに事が進まないことがあります。

祈ってもなかなか聞かれないことがあります。

しかし「失望してはならない」ということを主は教えられました(1節)。

主のみ約束に耳を傾けましょう。

父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる
。」(詩篇103:13~14)。

女が自分の乳飲み子を忘れようか。

自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、 このわたしはあなたを忘れない
。」(イザヤ49:15)
 
祈りは神との静かな交わりです。

また、悪との戦いです(ローマ12:21)。

祈りを通して求めるものを「得る」こともあります。

また、祈り求める者が砕かれて神の子としてふさわしい人に「なる」ことも大切です。

やもめの幸は私達の幸いです。

すべての事を益としてくださる主を見上げましょう(ローマ8:28)

あなたは相続人(2)  ガラテヤ4:1~11

 私達は神の絶大な富の相続人です。

なぜなら神の子とされたからです(7節)。

[1]相続人となれない人々がいます(1~5節)。

聖書の時代、ローマの法律に寄れば25才までは人は未成年でした。

相続は後見人や管理者に任されていました。

ユダヤ人は、ある面ではキリストが来られるまでは未成年であったという事です。

律法の管理のもとにありました。

救い主キリストによって真の神の民、神の子とされ、相続人となりました。

また、どんなに富豪な家に使われていても、奴隷は相続権がありません。

私達はこの世の奴隷でした。

ヨハネ4章に出てきたサマリヤの女性も、自分の欲の奴隷でした。

財産を相続できます。

神はご自身の権限によって、異邦人であり罪の奴隷であった私達を神の子としてくださいました。

私達は神の相続人です。

[2]私達が相続人である証拠があります(6~9節)

①私達は「アバ、父(お父さん!)」と呼ぶ霊を持っている正真正銘の神の子です(6節)。

②神に知られている子供です(9節)。

親ならば、自分の子どもがどこにいるか分かります。

運動会でどこを走っているか真剣に見ています。

父なる神は私達を知っておられます。その神の私達は相続人です。

[3]相続人への警告があります(9~11節)。

再び世の奴隷となってはいけないということです(9節)。

ガラテヤの教会の人々は、律法や儀式に頼ろうとしていました。

クリスチャンには世の楽しみに帰ろうとする誘惑があります。

自分の力で信仰生活ができるという間違いに陥る危険があります。

あなたはもはや奴隷ではなく、子です

子ならば、神による相続人です。」(7節)

私がそれです   ヨハネ4:3~26

不道徳な生活に陥り、信仰や霊的なことに全く関係のなかったサマリヤの女(7節)がキリストと出会いました。

その経過を見てみましょう。

①ある日の昼間、水を汲みに来た彼女に「わたしに水を飲ませてください」とキリストが語り掛けました。

彼女は「あなたはユダヤ人でしょう」とキリストと距離を置きます。

当時サマリヤ人とユダヤ人は宗教上の対立から犬猿の仲だったと言われていたからです(7~9節)。

②キリストは彼女に「私は生ける水を与えることができるのだ」と言われました。

それに対して彼女は「私達には1800年前のヤコブの時代から使用している由緒ある井戸があります」と言います。

彼女の誇りは伝統ある井戸、持ち物でした(10~12節)。

③キリストは言われました。

「この水を飲むものはまた渇きます」と。

つまり、人間の魂は、この世のものでは真に満足できないことを示されました。

彼女は初めてその水(彼女は単なる水と受けとめていましたが)を「ください」と言いました(13~15節)。

④キリストは言われました。

「あなたの夫をここに呼んで来なさい」。

これは彼女の一番隠していた事です。

昼間人目を避けて水を汲みに来たのもこのためでした。

次々と5人もの男性と結婚しましたが、満足できませんでした。

「夫はありません」と彼女は苦し紛れに答えました(16~18)。

⑤キリストはそのことを見抜いて「あなたが言ったことは本当です」と言われました。

彼女は反論することなく、むしろ素直にそのことを認めました。

そして「あなたは預言者ですね。

ならば、どうしてユダヤ人はエルサレムで礼拝することを主張するのですか」といささか反抗します。

彼女たちはサマリヤの山での礼拝を正当と考えていたからです(19~20節)。

⑥キリストは答えます。

場所ではなく「霊とまことによって礼拝する心が大切なのです」と。

遂に彼女は人間の心の確信に触れる質問をします。

「そのような心に私達を変える救い主が必要です」(21~25節)。

⑦キリストはご自身を彼女に示されました。

「あなたと話しているこのわたしがそれです」と(26節)。

このようにして、彼女はキリストと出会いました。

その出会いが彼女をキリストの証人にかえました。

キリストに出会う人はキリストを信じます。

そして神の栄光をあらわす者に変えられるのです。
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