宝をたくわえる   ルカ12:30~34

エペソ2章から、私達は神の作品としてキリストにあって造られた者であることを読みました。

かつては、私達は神の作品になることよりも、

「異邦人」が求めているものに支配された作品でした(ルカ12:30)。

私達を支配していたものは、神よりも人に良く見られたい心から起こる「偽善」(1節)、

神よりも人に対する「恐れ」(4節)、「貪欲」(15節)、

思い煩いから来る「心配」(25節)と言ったものでした。

神の作品となった者の生き方があります。

[1]私達は、そのような偽善や恐れに「気をつけ」(1節)、「警戒し」(15節)、やめるべきです(22、29節)。

主に召されていることに心をとめましょう。

「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、

あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。」(Ⅱペテロ1:10)

[2]「何はともあれ・・・神の国を求める」ことです(31節)。

神の国において相続できないものがあります。

それは、聖書で「肉」と言われるものです。

「不品行、汚れ、好色・・・敵意、争い・・ねたみ・・」などです(ガラテヤ5:20~21)。

私達の求めるものはこれとは逆のものです。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」(同22~23節)。

[3]御国を与えられる事は、父なる神の御心と信じることです(32節)。

[4]天に宝を積み上げ、たくわえることです(33~34節)。

この世の宝とは何でしょうか。

それは、金銭や持ち物に限らず地位、名誉、愛着などこの世の生活で終わってしまう全てのものです。

しかし、神の作品として御国に向かって生きる者は、

これらのものを「売って」(33節:捨てて)天に宝を積み上げることができます。

そして、楽しみながらこの世の旅路を進めます。

わが子よ。汝の心を我に与え、汝の目にわが道を楽しめ
(箴言23:26 文語訳)
スポンサーサイト

あなたは神の作品(2) エペソ2:10~22

エペソ2章前半にはクリスチャンひとりひとりが神の作品とされていることが記されてあります。

後半には「ひとりの人」(15節)、つまり教会が神の作品であることが記されてあります。

教会はキリストによってひとつとされた神の麗しい作品です。

[1]異邦人とユダヤ人が一つになれます(11~17節)。

異邦人とは、「キリストから離れ、イスラエルの国から除外され・・・

望みもなく、神もない人たち」です(12節)。

キリストは、「異邦人の道に行くな」と言われました(マタイ10:5)。

弟子のペテロも異邦人は汚れていると思っていました(使徒10:28)。

パウロは「異邦人は罪人」と言っています(ガラテヤ2:15)。

律法によると異邦人はそのようなものです。

しかし、ユダヤ人も律法によれば罪人です。

異邦人もユダヤ人もキリストの十字架の恵みの故に、また信仰によって救われ教会の民となります。

そこに真の一致があります。

[2]御霊による一致がある神の家族です(18節)。

「一致」と「一緒」は違います。

年が同じ、趣味や考えが同じですと「一緒」の仲間ができます。

しかし、教会は年や考えを超えて御霊によって一致した「神の家族」です。

[3]組み合わされて成長する共同体です(20~22節)。

キリストが「礎石」(20節)であるために、全てのクリスチャンが罪赦されたという土台の上にあります。

そして、キリストのためにという共通の目的があります。

北アイルランドで、甲子園球場の3.5倍の広さの土地に

一人の芸術家の発案でボランティアによって杭や砂が運ばれました。

彼の指導の元に全ての部材が並べられ作品が完成しました。

ボランティア達は何が出来たのかわかりませんでしたが、空から見ると、

それは微笑んでいる少女の肖像画でした。私達は、神の栄光を表す作品の部材です。

ひとりひとりが組み合わされて素晴らしい作品となります。

そして、一人一人がキリストを宿す神殿として成長していきます。

 教会は罪赦された人々による素晴らしい神の作品です。

最も大切なこと  Ⅰコリント15:1~5

一人の教会員が10月に召されました。

入院中に教会員の娘さんたちに聖書の話を聞いて信仰を決心し、洗礼を受けました。

先週は、この方の追悼記念礼拝が持たれました。

親しい人を失う事は悲しいことです。

私達は人やものを失って初めてその大切さに気づくことがあります。

使徒パウロにも大切なものがありました。

しかし、彼はキリストがこの世に於いてなさったことが「最も大切」なことだと言っています。

それは次のような理由によります。

[1]聖書が言っていることだから大切です(3~4節)。

この世には人のうわさや伝説があります。

また人間の言葉では説明のつかないことが起こります。

人間のことばでは慰められない悲しみがあります。

しかし、聖書は変わらない神のことばです。

キリストは「聖書の示すとおりに」この世に来られ、私達の罪のために十字架にかかり、復活されました。

ですから大切です。

[2]事実ですから大切です(5節)。

ヨセフはエジプトの奴隷として売られました(創世記39章)。

主人ポテパルに信用されました。

ポテパルの妻に濡れ衣を着せられて投獄されます。

しかし、彼は勝利でした。その原因は、彼の臨在信仰です。

そして、自分が潔白であるという事実でした。

事実が大切です。

多くの人々が目撃したキリストのなさったことは事実です。

その事実が力となります。

[3]信じる者を救う力があるから大切です(1~2節)。

信じるとは「受け入れる」ことです(1節)。

召された教会員は、キリストについて話しを聞いて、信じますかと言う問いにうなずきました。

「受け入れる」とはそれで十分です。

その人に神は救いの御業を行ないます。

神の子となります(ヨハネ1:12)。

神が共に居るという確信で困難を乗り切ることができます(イザヤ43:1~2)。

復活の望みを持って生きていけます(Ⅰコリント15:51~58)。

最も大切なことがあなたの人生を大切なものとします

あなたは神の作品  エペソ2:1~10

 「私達は神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(10節)。

私達が買い物をする時に、商品が良いか悪いか、

その判断の基準は買う人の価値観によります。

私達は神の作品として創造されました。

その人が作品としてどのような人生を送っているか、良いか、悪いかは創造主である神によります。

[1]悪い作品とは、1~3節の生き方です。

1節に「死んでいた」とあります。

聖書で言う「死」は、「別離」「分離」という意味です。

神と魂が分離した人は、良い作品とはなれません。

2~3節にあるようにこの世の「支配者」であり、

「不従順の子」つまり悪魔の言いなりになって生きているからです。

「肉と心」が土台であるならば、その作品には醜いものが表されます。

4節に「しかし」とあります。

そのように死んでいた人間が、次のような神の良い作品になれるということです。

[2]良い作品とは、4~9節を土台とした生き方です。

4節に「あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださった」とあります。

ですから、神のあわれみを受けて信じて救われた者は、

自分の生涯という作品に愛とあわれみを表すことができます。

5節にある「あなたがたが救われたのは」という聖句は、

「救われてしまっている」という意味です。

ですから、この世で私達は潔い作品となれるのです。

6節にあるように、私達はすでに「天の所にすわらせて」もらっているのです。

つまり、信じた者にはすでに天国が始まっているのです。

なぜなら、私達のいく所どこでもキリストがおられるからです。

私達はキリストを表す作品となれます。

自分を誇るのではなく、キリストが崇められる作品です(8~9節)。

人生というキャンバスにあなたは、どのような作品を描くでしょうか。

生まれ変わる?  ヨハネ3:1~7

 教会には、家族によって導かれる人がおります。

また知人を通して来る方もおられます。

ニコデモは、自分からキリストのもとに来た人です。

その時、彼が知っていたことと知らなかったことがこの聖書の箇所に出てきます。

[1]ニコデモの知っていたことがありました(1~2節)。

彼は「パリサイ人」であり、ユダヤ人の「指導者」とあります。

つまり、彼は聖書を知っておりました。

神が居られること、人を裁かれることを知っておりました。

律法にあるような罪を犯してはならない事や、愛の行いをするべきことも知っておりました。

 そして、キリストを「先生」と呼んでおります。

キリストは普通の人とは違う。

「神のもとから来られた」「神がともにおられる」人であるという事を知っておりました。

ですから、自分はキリストから学ぶことがあることを認めていました。

 さらに、彼が「夜」キリストのもとに来たことには意味があります。

彼は聖書を知り、神を知れば知る程、自分の内に有る「罪」という闇を知っていました。

彼はこの解決を求めていたのです。

[2]ニコデモの知らないことがありました(3~4節)。

キリストが、あなたは「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と言われました。

罪を解決し、天国に行くためには「新しく生まれる」事だと言われるのです。

この事がニコデモには分かりませんでした。

母の胎に入って生まれ直すことは不可能だと彼は考えました。

しかし、キリストは不可能なことが出来る不思議なお方です。

ですから「不思議な事と思ってはなりません」と言われました(7節)。

 キリストは十字架につけられ、全ての人の罪を解決されました。

心の闇を追い払って救ってくださる御方です。

ニコデモはこのお方と相対していたのです。

そして、その救いを自分のものにするために唯一私達が出来ることは、キリストを信じることです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された

それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
プロフィール

sawakei1

Author:sawakei1
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR