雲の柱 火の柱  民数記9:15~23

 キリストの友であるクリスチャンには「助け主」である聖霊が共に居られます(ヨハネ15:26)。

そして、私達を導かれます。その聖霊の御声に従って私達が歩む時、神の栄光を見ることが出来ます。

イスラエルが荒野を旅した時に、昼は「雲の柱」が、夜は「火の柱」が彼らを導かれたのと同じです(出エジプト記13:21)。

(1)雲と火の柱を通して神がなさることがあります

[1]この柱は、イスラエルの民から離れませんでした(同上)。

私達は、神から決して見捨てられない存在なのです。

[2]幕屋を覆いました(民数記9:15)。

旧約の幕屋は、神の住まれる所であり、イスラエルの民が礼拝をする場所でした。

火と雲の柱は神の臨在を示し、神が私達と共に居られることを示されました。

また、イスラエルの民が紅海を渡る時、エジプト兵との間にあって、彼らを守る垣となりました(出エジプト記14章)。

私達の上には、常に神の御手があることをこの柱は示しております。

[3]夜も昼も見えました(16節)。

聖霊は常に私達にみ言葉を示されます。

(2)イスラエルの民、即ち私達のなすべきことは、雲の柱、火の柱に従って進むことです(17~23節)。

特に、次の言葉に注目しましょう。

[1]「いつも」(17節)

夜、つまり苦しい時、暗黒の時でも「火の柱」である聖霊のみ言葉を聞くことが出来ます。

その御声に従いましょう。また問題が無い時や楽に見える昼間でも「雲の柱」を見失ってはなりません。

[2]「ただちに」(21節)

御声をきいたらすぐに従うことが勝利の秘訣です。

[3]「ただ・・だけ」(22節)

私達の信仰の基盤、行動の原点はイエス・キリストのみです。

 主は御手を持って私達の先頭に進まれます。その御声に従って歩みましょう。
スポンサーサイト

私達はキリストの友(3) ヨハネ15:26~27

この世は神に敵対しております(15:8)。

神を知りません(同21節)。罪を認めません(24節)。

そのような中で私達はキリストを信じることができました。

これは、正に主の憐れみであり恵みです。

さらに、私達はキリストを友として生きる事が出来ます。

この世にキリストを証しするものとなれます。

なぜなら聖霊の助けがあるからです(26節)。

[1]聖霊は私達が信じることを助けます。聖霊はキリストを証しされます(26節。)

「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」(Ⅰコリント12:3)。

「私達は御霊によって、『アバ、父』と呼びます」(ローマ8:15)。

[2]聖霊によって、私達はこの世をキリストの友として生きる事ができます

さらにキリストのように生きる事が可能です。

キリストは聖霊によってマリヤの胎に宿りました(マタイ1:18)。

さらに、聖霊はキリストのうちに宿り、力ある働きをされました(マタイ12:28)。

キリストは聖霊によって復活されました(ローマ8:11)。

その聖霊は、「わたし(キリスト)が父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る」神です(26節)。

聖霊はこの世で勝利されたキリストのうちに居られた神です。

その同じ神である聖霊が私達のうちにいます。

私達もキリストと同じようにこの世で勝利し、キリストのように父なる神との交わりの中で生き、

キリストと同じように復活するのです。

[3]聖霊は、私達がこの世でキリストを証しすることを助けます

私達は聖霊によってキリストの証人となれます(使徒1:8)。

神のことばを余すところなく語ることが出来ます(コロサイ1:25)。

「あなたがたもあかしするのです」(27節)

飢え渇く者  ヨハネ11:17~27

 ヨハネ12章には、マリヤがキリストに高価な香油を注いだ記事があります(1~7節)。

それは、喜びと感謝に溢れた彼女の信仰を表しています。

これは、偶然の出来事ではなく、彼女がそこまで導かれた取り扱いがありました。

それが11章にもあります。

[1]彼女が願っているようには、キリストはなさいませんでした(1~17節)。

マリヤの兄弟ラザロは病気で危機的な状態でした。

マリヤたちはキリストに助けを求めました。

しかし、キリストはマリヤたちの所に直ぐには行きませんでした。

「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです」というのが理由でした(4節)。

結局、ラザロは死んでキリストがベタニヤに来られたのはラザロが死んで4日目のことでした(17節)。

[2]彼女はマルタに呼ばれるまで、座り込んでいました(29節)。

キリストのしていることが分からなかったのかも知れません。

[3]彼女はキリストに自分の不満をぶつけました(32節)。

「もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」という言葉です。

姉のマルタも同様なことを言っています(21節)。

彼女たちは、キリストを信じ、その教えを知ってはおりました。

しかし、思わぬ現実に遭遇した時、彼女たちの信仰は試されました。

私達の主はよみがえりの主です(25節)。この世だけでなく、死をも支配しておられる神です。

場所や境遇にかかわらず、常に働かれる生ける神です。

[4]彼女たちはキリストを信じました(40~41節)。

キリストは「信じるなら、あなたは神の栄光を見る」と言われました。

その言葉に従って彼女たちは信じて墓の戸の石をとり除けました。

[5]彼女たちは神の栄光を見ました(43~45節)。

墓に入れられて4日目のラザロはよみがえりました。

病の癒しよりも、彼女たちの願いよりももっと大きなことを主はしてくださったのです。

キリストを慕い求めて信じて行くときに神の栄光があらわされます。

私達の喜びが満たされます。

主に期待しましょう。

私達はキリストの友(2)  ヨハネ15:20~27

 キリストを信じた者は、キリストの友です(15節)。

しかし、キリストの友が住むこの世は、キリストを憎み、十字架につけたところです。

ですから、キリストの友である私達にとってこの世は決して居心地が良いとは限りません。

この世は神に敵対しています。

21節に「彼らが私を遣わした方(神)を知らない」とあります

この世は神を知らないで神の敵となっています。

これが世の恐ろしさです。

つまり訳も分からず、知らないで神を憎んでいることになります。

キリストが十字架の上で「彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と祈られた通りです(ルカ23:34)。

22節に「私が来て彼らに話さなかったら」とあります

キリストはこの世で神のみ言葉を話されました。

しかし、「聞いても悟らない」のがこの世です。(マタイ13:14)

24節に「わたしをも、わたしの父をも見て、その上で憎んだ」とあります。

父なる神はキリストを世に遣わされました。

御自分の姿をキリストを通して示されました。

十字架を通して神の愛を示されました。

復活を通して神の権威を示されました。

それでも神に敵対しているこの世です。

25節に「彼らは理由なしにわたしを憎んだ」とあります

何千年もの間、ユダヤ人は聖書を教えられてきました。

彼らは聖書を知っているはずでした。

しかし、聖書に出てくる救い主であるキリストを受け入れませんでした。

これがこの世の神に敵対している姿です。

誠に理由や理屈では説明のつかない姿です。

26節に「御霊がわたしについてあかしします」とあります

この世が神に敵対している最大の問題は「罪」です。

神と人間を隔てている罪によって、人は神の言葉を無視し、神の真の姿が分かりません。

しかし聖霊のお働きに期待しましょう。

聖霊によって罪が示されキリストが分かるのです。

さらに、聖霊によって、この世にキリストを示す証人とさせていただきましょう。

あなたがたもあかしするのです」(27節)。

ペテロの勘違い  使徒10:34~43

この世では、死んだら天国に行けるとか、良いことをしたら天国に行けると勘違いしている人が多くいます。

使徒であるペテロも勘違いしておりました。

それは、救いは神の選ばれたイスラエルのものである。

だから、異邦人(イスラエル以外の民)は汚れており、交わりもしてはならないとの信念でした(28節)。

一度思い込んだものは簡単に消えません。

神はそのようなペテロに幻を通して教えられました(10~16節)。

旧約の律法では食べてはならないという動物の入った敷布が天から下りてきました。

ペテロに「食べなさい」と言うのです。

それに反論する彼に神は言われました。

「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」(15節)。

この幻で彼の先入観は消えました。

そこに異邦人であるローマの百人隊長コルネリオの使者が来ました。

コルネリオがペテロのメッセージを聞きたいとのことでした(22節)。

ペテロはこの時、ためらわず使者とでかけてコルネリオを訪ねました。

そして、福音を語りました(34~43節)。

ペテロの話を聞いたコルネリオと周りの人々は信じて洗礼を受けました(48節)。

考えて見ると、私達日本人も異邦人です。

その異邦人である私達がイスラエルからはるかに離れた地で救われました。

初期の弟子たちが先入観や勘違いを捨てて交わりのなかったイスラエル以外の人々に接して福音を伝えた結果です。

キリストは全ての人々を救おうとされています。

世に支配されてはなりませんが、キリスト教と無関係な人々との交わりに入っていくことも大切です。

福音が多くの人々に伝わります様に。

この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる」(43節))


プロフィール

sawakei1

Author:sawakei1
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR