福音の望み コロサイ1:23~29

イエス・キリストの十字架と復活、それが福音です。

福音によって私達は神と和解し、聖く、傷なく非難されるところのない者として御前に立つことができます(22節)。

福音は私達にとって信仰の土台であり、永遠に関しての真の望みです。

そのような全き福音にあずかっている私達クリスチャンに、パウロは「ただし、あなたがたは・・」と警告しています。

[1]福音から外れる危険があります(23節)。

当時のコロサイ教会は儀式を重んじるユダヤ教や、知的な魅力を持った哲学の影響がありました。

それ等によって信仰の土台が揺れ動くような危険の中にありました。

福音は信じる者にのみ救いをもたらすことができます。

「信仰に踏みとどまる」ことが大切です。

[2]福音は伝えなければなりません(24~29節)。

パウロは、このコロサイ人の手紙を書いた時、ローマで捕らわれの身でした。

しかし、それでも彼は福音宣教に「仕える者」と言っています(23節)。

「あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています」と言っています(24節)。

福音を伝える「教会に仕える者」と断言しています(25節)。

「自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています」(29節)とあります。

福音は、黙っていても伝わるほど全きものではありません。

福音は何が何でも伝えなければならないものなのです。

今私達は福音の未伝地と言われる日本に住んでいます。

共産政府の支配の中にある中国のクリスチャンの割合は6%です。

イスラムのメッカのあるサウジアラビアには日本よりも多くのクリスチャンがいます。

「宗教」はあっても「信仰」がないと言われる日本も鹿児島も福音によって変わる可能性があります。

福音の望みに立ち、私達がキリストの証人となりましょう。

福音が伝えられるために、教会に仕える者となりましょう。
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御子イエス・キリスト  

コロサイ1:14~22

先週読みましたように私達は「暗闇の圧政」から「御子の支配」に移された神の子です。

それは、「御子のうちにあって」なされたことです(13~14節)。

つまり、私達にとって、御子イエス・キリストの存在が大事な意味を持っているのです。

キリストをどのように見るかでその人の永遠の人生が決まります。

それほど、キリストは偉大なお方です。

あらためて御子イエス・キリストとは誰なのかを考えて見ましょう。

[1]イエス・キリストは神のかたちであり、神そのものです(15節)。

神は霊であり、見えない存在です。

誰も神を見た者はありません。

しかし、キリストを見た者は父なる神を見たのです(ヨハネ14:9)。

キリストは神の本質の完全な現われです(ヘブル1:3)。

[2]イエス・キリストは創造者です(15~16節)。

「初めに、神が天と地を創造した」とあります(創世記1:1)。

御子によって私達は創造されました。

そして神が創造され、動かしておられる世に私達は生きています。

つまり、御子イエス・キリストなしには生きることが出来ない私達となっているのです。

[3]イエス・キリストは教会のかしらです(18節)。

教会につながって生きる私達にとってイエス・キリストは主の主、王の王です。

また、キリストを主とするならば、教会につながるべきです。

[4]神と私達を和解させる救い主です(22節a)。

世の中でも神の存在を信じている人々がいます。

この地が神によって創造されたことを信じている人もいます。

しかし、そのように信じても私達の人生は変わりません。

神の前には罪人だからです。

私達はイエス・キリストを救い主として初めて神と和解し、罪赦され、神の子として生まれ変わることができます。

[5]聖く傷の無いものにしてくださる神です(22節b)。

御子イエス・キリストは、聖く、傷の無いお方です。

そのキリストにつながることによって、私達も聖い者とされます。

 あなたにとってイエス・キリストとは何でしょうか?

暗やみからの解放  コロサイ1:9~14

コロサイ教会は、忠実な聖徒の集まり(1~2節)、信望愛にあふれた教会(3~5節)

そして福音によって生まれた教会であることを学びました。

今日の聖書の個所にはそのコロサイの信者に対するパウロの祈り(願い)と、

それを可能にする神様の恵みが記されてあります。

[1]パウロの願い

①真の知識に満たされて欲しい(9節)。

先週学んだルツのように、私達は神無しには生きられない人間です。

その私達がどのように生きるかは、単なる知識ではなくみ言葉による「霊的な知恵と理解力」を要します。

さらに、真の知識は実践に表されるものです。パウロは

②主に喜ばれるような歩みをして欲しい(10節)
 
③忍耐と寛容を尽くして欲しい(11節)と祈っています。

[2]神様の恵み

これらのパウロの願いと祈りは、神様の恵みによって可能になります。

私達はコロサイの信者と同様に

①「暗やみの圧政」つまりサタン(悪魔)の支配から解放された者です(13節)。

悪魔は神を見えなくします。

この世の最大の闇は神が分からないという闇です。

それは、自分が神の愛の対象として創造された者であるという事を知っていないという暗黒です。

②「御子の支配中」に生きるという恵みです(13節)。

ルツはその暗闇から解放され、ナオミと一緒にモアブを出ることを決断しました。

そこに待っていたのは神の永遠のご計画でした。

③何よりも「御子のうちにあって・・罪の赦し」を得ているという恵みです(14節)。

この恵みの中にあるならば、私達はみ言葉を通して真の生きる知恵を持ち、主に喜ばれる歩みをすることができます。

つぶやきではなく、喜びと感謝の日々を送ることができます。

「神のことばを余すところなく」教えて頂きましょう。

ルツの決断   ルツ記1:1~18

イスラエルの民はエジプトからモーセに導かれ約束の地、カナンに来て、そこに住むようになりました。

その約束の地にききんが襲いました。

そこでベツレヘムに住んでいたある夫婦が子供二人を連れて異邦の地であるモアブへ避難します(1節)。

しかし、夫は亡くなり、妻ナオミと子供たちが残されます。

その子供たちがモアブの女性を妻に迎え、ナオミもほっとした事でしたが、二人の子どもも亡くなります。

結局、ナオミは一人でベツレヘムへ帰ろうと決心しました(8節)。

この時「あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。

あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」という決心をしてナオミに従ってベツレヘムへ行ったのがルツです(16節)。

[1]ナオミの行動を考えましょう

彼女が夫とともにベツレヘムへ行こうとした動機は「ききん」です。

ベツレヘムに帰ろうとした動機も「ききん」が無くなったからです。

苦しみから逃れたいと思ってモアブに来ましたが、そのような彼女をさらなる苦しみが襲いました。

苦しいか、楽かだけの目先の判断で行動することは危険であることをこの記事は教えています。

[2]ルツの行動を考えましょう。

彼女にとって、たとえナオミが一緒でも住み慣れた故国モアブを離れる事はつらいことです。

しかし、彼女はベツレヘム行を決断しました。

彼女はナオミを通して神に仕えることの大切さと喜びを感じていたからです。

だから上記16節にあるような決断が出来たのです。

彼女にとっては、パンがあるか無いかではなく、異教の地に一人残って神との交わりが出来るか否かが大切でした。

[3]ルツの行動の結果を考えましょう

ベツレヘムでルツが最初にしなければならなかったのは落穂拾いで生きていくことでした(2章)。

しかし、神は彼女を祝福しボアズと巡り合い家庭を持てました。

その子孫からキリストが誕生しました。

異邦の地モアブの女性であったルツは、神の永遠のご計画の中の大切な一人となりました。

主よ。目先の事で決断を間違いませんようにお守りください。」
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