暗きを照らす光  使徒16:25~34

暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った」(マタイ4:16)

このみ言葉は、預言者イザヤが語った言葉です。

それは、700年後のキリストの降誕という事実によって現実となりました。

これがクリスマスです。クリスマスは神が光となってこの世に来られたという事です。

[1]「暗やみの中に座っていた民」「死の地と死の陰にすわっていた人々」とは誰のことでしょう

それは、700年前のイスラエルの人々であり、今の私達のことです。

使徒16章には、宣教の働きをしたという事で投獄されたパウロとシラスの記事があります。

この時、彼らの夜中の賛美に聞き入っていた囚人たちがいました(25節)。

この囚人は、罪を犯した人々ですが、聖書は「罪を行なっているものは、罪の奴隷です」とあります(ローマ8:34)。

たとえ牢獄に入らなくても、神の前に罪を犯した者は、神の前に座り込んでいる囚人です。

看守がいますが(27節)、彼は突然の地震の後に囚人が逃げたと「思い」(思い込み)自殺しようとしました。

囚人を逃がした看守は死刑を命じられていたからです。

彼も目先の事しか見えないという暗闇の中の一人です。

[2]暗やみの中に座っていた民に偉大な光が上りました

あの囚人たちは、自ら犯した罪に苦しみつつ、パウロたちの賛美を通して、キリストの光を見ておりました。

さらに、看守は囚人たちが地震の為に戸が破れたにも拘らず逃げなかったから死刑を免れた事を「救い」とは思いませんでした。

パウロ達のように、たとえ鎖に縛られても賛美できる者になりたいと思いました。

彼は、「偉大な光」を見ただけでなく、光の中を生きていきたいと願いました。

「救われるためには、何をしなければなりませんか」と彼はパウロに求めます(30節)。

信仰によって彼が救われ、家族が救われました。

神を「信じる」ことが喜びという家族になりました(34節)。

「信じる」の反対は「行なう」あるいは「がんばる」ことです。

「行なうこと」や「持っている」という喜びはやがて消えてしまいます。

しかし、神を信じる喜びはこの世を去る時まで変わりません。

看守の家族に光が上りました。

あなたの家族にもこの光は信じるだけで輝きます。


キリストはこの世の闇を照らすために来られた救い主です。
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待っておられる神 ヨハネ14:1~6

 クリスマスは多くの人々に待たれています。

子供はプレゼントを。大人は楽しいひと時を。

しかし、神はそんな私達を待っておられます。

[1]人々の心の扉が開かれることを待っておられます

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(黙示録3:20)。

[2]心を開き、キリストを受け入れた人々をさらにキリストは待っておられます

悔い改めるのを(Ⅱペテロ3:9)。さらなる恵みを受けることを(イザヤ30:18)。

祈るのを(ヨナ書1:17~2:1)。キリストのみに信頼するのを(創世記32:24~28)。

[3]何よりも私達と共に住むことを待っておられます(ヨハネ14:1~6)。

キリストは再びこられます。

そして、私達と共に永遠の御国で共に住むことを待っておられます。

その証拠がこの聖書の個所にあります。

①キリストは、私達を「迎えます」と言っておられます。

さらに「わたしのいる所に、あなたがたをもおらせる」と言っておられます(3節)。

「おらせる」とはずっと一緒に住むということです。

キリストは地上で共にいて下さるだけでなく、永遠に私達と共に居たいと願っておられます。

②その永遠の御国へ入る道を準備してくださいました。

ご自分のいのちを捨てて十字架にかかり、私達の罪を処分されました。

③何よりも場所を備えていてくださいます(2節)。

キリストがお生まれになった時は、備えられた場所がありませんでした。

その結果、キリストはベツレヘムの家畜小屋で誕生されました。

しかし、キリストは私達のためには場所を備えて待っておられます。

 キリストを心にお迎えしましょう。

そして、再び来られるキリストを待ち望みましょう。

突然のクリスマス  ルカ2:8~11

キリスト誕生のニュースは、まずベツレヘムの羊飼いたちに告げられました。

この時、彼らは「ひどく恐れた」とあります。

なぜでしょうか?

それは、第一に夜の出来事であり、第二に突然の出来事であったからです。

これは、今の私達が住んでいる世界を表しています。

この世は神を無視し、神が見えなくなっている暗黒の夜です。

そして、突然と思われる想定外の事が起こります。

あなたは、このような世に於いて突然の出来事にどのように対応されるでしょうか。

「使徒の働き」には「突然」と記された記事があり、人々がどのように応じたかが記されてあります。

聖霊が突然くだりました(2章)。

人々は驚きましたが、ペテロはこの事が聖書の約束と信じて人々を説得しました。

パウロは突然天からの光を受けました(9章)。

彼はこのことがキリストによってなされたことを信じて、大胆にキリストを宣べ伝える者となりました。

しかし、エルサレムの教会の人々は最初このことを信じないで恐れておりました。

牢獄に捕らわれていたペテロは突然御使いによって救出されました(12章)。

彼の救出を祈っていた人々は、この余りの突然の出来事に喜ぶ代わりに「非常に驚いた」とあります。

パウロとシラスは突然の地震によって解放されました(16章)。

この出来事をとおして主が素晴らしいことをしていることを信じなかった看守は自殺しようとしました。

しかし、キリストに目が開かれた時、彼とその家族は救われました。

これらすべては人間にとっては突然のことのようですが、実は神の大きな計画によるものです。

何が起こっても、キリストに目を留めるとそれは神への賛美につながります。

この暗黒の世に最も驚くべきことが起こります

それはキリストの再臨です。

2000年前に人の姿で来られたキリストが栄光の姿で再び来られます。

信じない者には突然の事ですが、備えして待ち望んでいる私達には希望と喜びの日です。

主の降誕を喜び祝いましょう。

そして再び来られる主を待ち望みましょう。

追い求めなさい ヘブル12:14~17

すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」(ヘブル12:14)

人は神の形に造られ、その栄光を表すものとされました。

しかし、罪のためにその栄光を失い、自力で取り戻すことは出来ません。

そのような私達を神はご自身のきよさにあずからせようとしておられます(10節)。

そして「聖められることを追い求めなさい」と勧めています。

聖い人とは、「すべての人との平和」な関係にあり、神との交わりを最高の幸せとする人です(詩篇16:11)。

神のきよさを追い求めましょう。

 そのために自らを「監督」する必要があります(15節)。

この「監督する」とは、危険を前々から見抜いて警戒する意味が含まれています。

 この世には「不品行」という危険が潜んでいます。

これは性的罪を表します(15節)。

また、エサウが長子の権利を簡単に売り渡したように、神の恵みから落ちる危険があります(16節)。

エサウは長子として生まれ、様々な神の祝福を継ぐ特権が与えられていました。

彼はその特権を捨てて、ヤコブの持っていた一杯の食物を得ました。

私達が神の子とされたのは、私達の努力や能力によるものではありません。

エサウが努力なしに長子として生まれたのと同じです。

神の大きな恵みによって、神の子とされた特権を自らの欲を満たすものによって奪われてはならないのです。

 ただ万一私達が失敗しても、神のあわれみがあります。

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」とあります(詩篇34:18)。

自らの過去の失敗は取り消せませんが、神の赦しを乞い求めることができます。

エサウが「涙を流して」神に追い求めたものは、神の赦しではありませんでした。

それは、長子の特権によって得られたはずの祝福でした。

ですから、彼は神に退けられました(17節)。

私達は、神の憐れみを求めましょう。

聖められることを追い求めましょう。

成功の秘訣  ネヘミヤ記2:9~20

長くバビロンの地に捕囚となっていたイスラエルの民は故国に帰還しました。

そして、まず神殿を再建しました(エズラ記)。

次にネヘミヤ記には神殿と町のあるエルサレムの城壁の再建に取り掛かかった事、そして完成したことが記されています。

この工事は何を意味しているでしょうか。

[1]この工事は、城壁や門が廃墟と化していたところからの出発でした(17節前半)。

家の建築は立て直すよりも新築の方が楽だと言われます。

一旦崩れてしまった人生やこじれた人間関係・・・これらを建てなおすことは困難です。

しかし、神様はどのようなところからでも私達の人生を変えてくださいます。

[2]城壁を立て直そうとしたネヘミヤがいました(17節後半)。

その彼は、最初エルサレムの町が荒廃していることを聞いた時、数日間泣いて嘆きました。

しかし、そのようなネヘミヤを神様は用いました。

彼は「神の御手」が働いていることが分かりました(18節前半)。

そして、城壁の再建に立ち上がりました。

私達の主は、嘆き悲しむ状況の中から真の勇気を与えられ、立ち上がらせるお方です。

[3]ネヘミヤの協力者が起こされました(18節後半)。

ネヘミヤが決心して立ち上がると、「さあ再建にとりかかろう」という人々が起こされました。

神様に従うと、それにふさわしい状況が与えられます。

[4]良いことを始めようとすると、困難がつきものです(19節)。

「あざけり」や「王に反逆している」というあらぬ中傷がありました。

私達はこの世で良いことをしても必ず良い評価を受けるとは限りません。

しかし、「善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです」(Ⅰペテロ2:20)と聖書にあります。

私達には与えられた善き働きを完成させてくださる神がおられます。

主に従う者に力を与えられます。

成功の秘訣がここにあります。

天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる」(20節)。
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