日本のために祈ろう  創世記12:1~3

「地上のすべての民族はあなたによって祝福される」とアブラハムは神の約束を受けました。

私達が日本の為に祈るのは、日本に住んでいるからだけではありません。

聖書に約束された祝福を受けるすべての民族の一つだからです。

[1]祝福とは何でしょうか

①見える祝福・・アブラハムは子供と子孫が増えること、地を受け継ぐことなどを神からの祝福として与えられるという約束を受けました(12章、13章)。

そして、それはイスラエルにとって現実のものとなっています。

②霊的祝福・・神との関係の中で生きることです。

罪を赦し、私達を豊かに養ってくださるキリストを土台として生きる幸せです(Ⅰペテロ2:4)。

死が終わりではないと信じて生きる希望です(Ⅰコリント15:57)。

苦境の中でも主を賛美しながら生きる確信です。

私達は信仰によって、これらの霊的祝福をこの世で体験し、やがて見える神の国をも受け継ぎます(ガラテヤ3:7~8)。

[2]この祝福を拒むものは何でしょうか

イスラエルがこの祝福を見失っているように、多くの日本人は、教会の敷居が高いと思っているだけでなく、神の祝福との間に障害物(バリア)があります。

それは、自分は豊かだという思い込み。

偽の救いなどです(Ⅱテサロニケ2:8~11)。

また、罪意識の欠如や弱さに対する自覚の欠如です。

[3]救われた私達の務めは何でしょうか

まず、祈ることです。

そして、私達が世の人にとってバリアフリーのスロープとなることです。

罪を犯し、弱さを持った私達が救われて、キリストによって豊かに養われている姿が人々を救いに導きます。

神は日本を祝福しようとしておられます。

そのカギを握っているのは私達です。

祈りと宣教の働きをさせて頂きましょう。

主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる・・良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう
 (ローマ10:13~15)
スポンサーサイト

愛なる御父の訓練   ヘブル12:4~13

 運動競技に忍耐が必要なように、クリスチャンの戦いにも忍耐が必要です。

忍耐とは、苦しみを受け止めて耐えるという事です。

クリスチャンには2つの苦しみがあります。

①罪を犯したための苦しみ 

②信仰の為の迫害等 です。

2つとも愛なる神が与えられるものです。

神は苦難を通して何とかして私達を神の子にふさわしく仕立て上げようとしておられます。

一方私達は、苦しみを軽んじて、他のものに逃げることも出来ます。

また気落ちして、神が自分を捨てたと思うこともできます。

しかし、私達のなすべきことは何でしょうか?

[1]苦難を受け止めたキリストを考えることです(3節)。

キリストは「自分を死から救うことのできる方に向かって」祈りをささげられました(ヘブル5:11)。

十字架の苦しみから逃れさせてくださることを願いました。

しかし「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」と祈られました(マルコ14:36)。

「この時(十字架にかかる時)からわたしをお救いください」ではなく「このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです」と祈られました(ヨハネ12:27)。

キリストは私達罪人のために十字架という苦難を進んで受け取られました。

[2]父が子を懲らしめるのは、当然と考えることです(7~10節)。

人間の父親は「短い期間」「自分が良いと思うままに」子供を懲らしめます。

しかし、父なる神は「私たちの益」、即ち永遠の利益のために、「ご自分の聖さにあずからせようとして」私達を懲らしめます。

ヨブは自分は潔いと思っていました。

しかし、神はそこに光を当てて彼の傲慢に気付かせました。

そして、彼は苦難を通して真に潔い者とされたのです。

[3]すべての懲らしめは「その時は」喜ばしいものではなく、後になると、平安な義の実を結ばせると考えることです

(11節)。実生活の中でこの事を学びましょう。

さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」(ヤコブ1:2)

イスラエルのための祈り 

ローマ11章11~12節からイスラエルの為の祈りの大切さを学びましょう。
 
パウロの心の中には、イスラエルに対する重荷と祈りがありました。

それは、キリストご自身の中にあった思いです。

[1]イスラエルについて

①神はイスラエルと異邦人を分けておられます。

イスラエルの民の出発はアブラハムです(創世記12:1)。

そのアブラハムとその子孫を通して神は地上に祝福をもたらすことを約束されました。

②ここから神が全人類を救うご計画が始まったとも言えます。

イスラエルの民を聖別し、律法を与え、救い主の誕生を預言されました。

③イスラエルの歴史は、神のご計画の真実さを示しています。

預言通りにキリストがイスラエルの民の中に誕生されました。

しかし、イスラエルはキリストを拒み、十字架に付けました。

そして、キリストの預言通り(ルカ21:24)、全世界に散らされました。

今預言通りにユダヤ人がイスラエルの地に帰りつつあります(イザヤ11:11)。

聖書の言葉は真実です。だから信じられるのです(ルカ21:33)。

④結局、イスラエルは祝福を約束されていながらキリストを拒むという失敗を犯しました(ローマ11:12)。

⑤けれども、神の最終的な祝福が残っています。

それは「イスラエルはみな救われる」(ローマ11:26)という「かれらの完成」(同12)です。

[2]異邦人について

①「イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人」(エペソ2:12)、つまりヤコブの兄エサウのように祝福を奪われた者です。

しかし、神のご計画は異邦人に向けられました。異邦人は、信仰によって救われ、本来イスラエルに約束された祝福を奇跡的に与えられるものです(同8)。

②この事を通して、イスラエルに「ねたみ」を起させ、イスラエルの民がキリストを救い主と信じるようにとの神のご計画があります(ローマ11:11)。

イスラエルに対するご計画の中で救われた私達は異邦人です。

そのご計画を知った私達です。彼らの救いのために祈りましょう。

へりくだる者に   Ⅱ列王5:1~14

「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる」(ヤコブ4:6)

Ⅱ列王5章のナアマンの記事で、アラムの将軍ナアマンの高ぶった姿とへりくだった姿が考えられます。

ナアマンは「主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられた」人物でした(1節)。

もし、彼が「主によって」ということを忘れたら、彼の勝利は単に傲慢をもたらし、彼は主の前の敗北者でした。

勝利者であり、全てのものを満たして下さるキリストを仰ぐ時、私達は常に勝利です。

預言者エリシャの家の前でナアマンは怒りました(9~11節)。

エリシャ自身が彼の前に出ないで、召使が彼にエリシャの言葉を告げたからです。

「将軍」という地位が彼を神と人の前に傲慢にさせていました。

自分は偉い・・というより父なる神は偉大だと信じる人こそ尊敬されるべき人です。

なんということだ・・」とさらに彼は怒ります(10~12節)。

自分に告げられたエリシャの言葉は、ヨルダン川に7回身を浸せ」ということでした。

エリシャが来て患部に手を置いて祈ってくれると「私(ナアマン)は」思っていたとあります。

「私が」きよくなるのはヨルダン川よりも自国にある立派な川がふさわしいと彼は考えました。

神のことばよりも自分の考えや方法が先行する時、私達は敗北です。

そんな彼がへりくだりました(14節)。

軍服(地位)も名誉も捨てて裸となり、みことば通りにヨルダン川に7回身を浸していやされました。

私達の自らの真の姿は弱さを持った罪人であるという事です。

この事を認める時に神の癒しの御手があります。

1回、2回・・身を浸しても結果は見えなかったと思われます。

しかし、彼は言われた通り7回身を浸しました。見えるところによらず御言葉に完全に従う時、全能の神が働かれます。

神の豊かな恵みの中を生きる秘訣はへりくだることです
プロフィール

sawakei1

Author:sawakei1
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR