私が与える水  ヨハネ4:1~18

キリストがサマリヤの町に来られた時、一人の女性と出会います。

この女性は、何時の時代にも見られる典型的な「人間」の姿です。

[1]神が分からない(10節)。

彼女はイエスの求めに応じて(7節)井戸水を与えることができました。

しかし、イエスの方がさらに勝るものを与えることのできる神であることに気付きませんでした。

[2]イエスの言われる霊のことが分からない(11節)。

イエスは彼女に「生ける水」つまり、魂の渇きを満たす「いのちの水」を与えようとされました(詩篇42:1 黙示録21:6)。

その水は、受ける者の罪をきよめ、新しいいのちとなります。

彼女は、「生ける水」とは単なる湧水としか理解できなかったのです。

[3]イエス以上に偉大な人がいると思っている(12節)。

彼女にとっては、ヤコブは砂漠の中に枯れない井戸を残してくれた偉大な先祖でした。

良いと思うものを提供してくれる人・・・それは私達にとっても神以上の存在になる危険性があります。

[4]魂の渇きを持っている(13~14節)。

神に創造された人間は、魂を持った存在です。

そして、キリストを信じて、永遠のいのちを持ち、神との交わりを持つまでは、

私達の魂は満たされることがありません。

この世には魂を満たすものがありません。

キリストこそ私達を満たされるお方です(ヨハネ7:37~39)。

[5]罪を認めて、キリストを信じる時にいのちの水を持ちます(16~18節)

「夫を呼んで来なさい」というイエスの言葉で彼女の良心が覚まされました。

多くの男性と関係していたために、「夫はありません」と正直に告白しました。

やがてイエスをキリストと信じて彼女は救われました(25~26節)。

 私達が真に夫とすべきお方がおられます。

あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。

あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、全地の神と呼ばれている。」
(イザヤ54:5)

この偉大なお方にあなたは愛されています。キリストの与える生ける水で満たされた生涯を送る事ができます。
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主を待て  詩篇131篇

「戸の外に立ってたたく」(黙示録3:20)・・そのキリストの声は聞き逃すことがあります。

幼子サムエルには、神の声を聞くという訓練が必要でした(Ⅰサムエル3章)。

キリストを十字架刑に処した総督ピラトは、人の声に惑わされました(ルカ23章)。

ダビデは「主を待つ」ということを心得て主の声を聞きました(詩篇131:3)。

「主を待つ」とは・・

[1]「誇らず・・高ぶらない」という謙遜な姿です(1節)。

つまり、自分のありのままの姿を認めるということです。

クジャクは羽を広げて自分を大きく見せることで外敵に対抗します。

パウロはどうだったでしょうか。

コリントで伝道した時、彼は恐れました。

しかし、祈りました。

その結果、主は「恐れないで、語り続けなさい・・」と幻を示して彼を励まされました。

パウロは俄然勇気を得て1年半もこの町にとどまり、教会の基礎が築かれました。

主を待つ人は真の勇気を得る人です。

[2]「深入りしない」という慎重な姿です(1節)。

ここで言う「深入りしない」とは「進まない」「歩き回らない」という意味です。

問題に遭遇した時に自分であれこれ考えないで、迷った時にはキリストに聞こうという態度です。

キリストを世に紹介したバプテスマのヨハネも、キリストに対する疑問を持ったことがありました。

この時、彼は自分の弟子を遣わしてキリストに疑問を投げかけて確信を得ました(ルカ7:19~35)。

主を待つ人には確信が与えられます。

[3]「乳離れした子」に成長した姿です(2節)。

乳離れしていない子は、お腹のすいた時だけ母親に泣いて乳を求めます。

乳離れして成長した子は、定期的に母親の作った食事を食べます。

主を待つ人に、常に主は語り掛けます。

幼子サムエルに学びましょう。

主よ。お話しください。しもべは聞いております
(Ⅰサムエル3:10)

聖なる者 マタイ19:16~26

先週は、キリストが心の戸をたたく記事を読みました。

今日の箇所で一人の青年(22節)が出てきます。

[1]キリストは青年の心の戸をたたかれました(16~20節)。

この青年は「ひざまずいて」(マルコ10:17)キリストに永遠のいのちを得る道をたずねました。

彼は金持ちでした(22節)。

キリストは彼に永遠のいのちという真の財産を得て救われるようにと、彼の心の戸を叩いていたのです。

ですから、彼の戸は開き始めていたということになります。

さらに、キリストはこの青年の心の奥底にある戸をたたきます。

それは、救われなくても自分にはできるという自信に満ちた心の部屋の戸でした。

そこで、キリストは「自分の持ち物を売り払って貧しい人に与え、

そして私に従ってきなさい」という問いかけで彼の心の戸をたたきました(21節)。

[2]委ねるということは具体的なものです(22節)。

この青年は、キリストの2番目の問いかけで、開けかけていた戸を閉めてしまいました。

彼は戒めを小さな時から守ってきたまじめな人でした(20節)。

しかし、同時に自分の持ち物は自分の自由にしたいという思いに束縛されていました。

キリストは具体的な問題で私達に委ねることを求めておられます。

[3]なぜ委ねるという事は難しいのでしょうか(22~24節)

この青年にとって財産は将来の蓄えだったのかも知れません。

それをゆだねたら将来どうなるか心配でした。

委ねた結果が見えない、自分のものは自分で管理したいので、神には任せられない・・・等

様々な理由があります。

[4]委ねることは可能です(26節)。

なぜなら、キリストは私達の必要をご存じであり、責任を持って私達を導いて下さるからです。

人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」(26節)。

キリストは私達のことをことごとくご存じの羊飼いだからです(創世記48:15 黙示録2:13)。

委ねると楽になります。

キリストはすべてを委ねて、キリストと共に歩む聖い者を通してご自身の栄光を表されます。


戸をたたくのはあなた 黙示録3:14~20

ホルマン・ハントの書いたキリストがある家の戸をたたいている有名な聖画があります。

これは「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(20節)のみことばを絵にしたものです。

[1]すべての人は神に対して戸を閉めてしまいました

なぜなら「富んでいる、豊かになった」という一時的な満足があるからです(17節)。

神抜きで生きていけるという人間の傲慢さがこの扉を表しています。

[2]すべての人の心の扉をキリストはたたいています

ハントの書いた聖画には、扉にノブが描かれていません。

それは、外側からはこの扉は開けられないということを示しています。

私達が、自分の意志でキリストを迎えるまで、どのような人の心をもキリストはノックしておられます。

皆から罪人扱いされていたザアカイも、富める青年も、クリスチャンを迫害していたパウロも、キリストの開けて欲しいとの声を聞いていました。

[3]戸を開くのはあなたです。

戸を開くとは・・
①悔い改めることです。

17節に「実は自分がみじめで・・・裸の者であることを知らない」とあります。

悔い改めとは、キリストのことば通りに自分の真のの姿を受け止めることであり、心の扉を開くことです。

これが豊かな人生の出発です。

②キリストを受け入れ、信じることです。

③キリストにすべてを明け渡すことです。

キリストは、私達と食をともにする程、私達の生活に密接に関係してくださる神です。

食べること、生きること、生涯のすべての問題をキリストと相談しながら進むことです。

キリストの配慮の中に生きる時(詩篇103:19)、豊かな、恐れの無い生活が待っています。

みことばに従う  Ⅱ歴代34:1~7

 Ⅱ歴代34章には、イスラエルの王ヨシヤについての記事があります。

彼は8才で王となり、それまでの王とは違って「主の目にかなうことを行なって」(1~2節)イスラエルの国に信仰を取り戻しました。

神殿を修理中に律法の書(聖書)が発見され、その書が朗読された時に「自分の衣を裂いた」(18節)とあります。

つまり、彼は悔い改めていよいよ信仰を篤くしました。

「彼の生きている間、彼ら(国民)はその父祖の神、主に従う道からはずれなかった」(33節)とあります。

 先週は、「限りある地上の人生の価値」と題してメッセージが語られました。

ヨシヤ王にとって、その「限りある人生の価値」とは何だったのでしょうか。

[1]それは、キリストに導かれた彼の生い立ちです

彼の生い立ちは、キリストとの出会いに導かれる価値ある時となりました。

彼の父アモンは、不信仰な王でした。

そして、自分の家来に謀反を起こされ殺されました。

さらに、謀反を起こした家来たちが民衆に殺されました(33:21~25)。

幼いヨシヤにとって、これらは想定外の痛ましい事件でした。

しかし、ヨシヤはこのような中で真の慰めと、真に信じられるものを求めたことと思われます。

神とは全く関係ないような状況の中で、神は救いの招きをしておられます。

主を求めるならば、救われる機会が豊かにある世に私達は生かされています。

主にあって私達は、豊かな価値ある生を営んでいるのです。

[2]周りの人々にキリストを証する価値ある人生です

ヨシヤが主に従っている姿が、人々に大きな感化を与えました。

こうして信仰は受け継がれて今に至っているのです。

私達の信仰生活は、私達自身だけでなく、私達の後の世々に祝福をもたらす貴重なものです。

 はかない人生ですが、神様の豊かな価値ある恵みの中を過ごしましょう
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