み言葉を聞いて マタイ7:24~29

「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます」(24節)とキリストは言われました。

つまり、ご自分のことばを土台として家を建てよ(生活せよ)ということです。

キリストを無視した生き方は、一見楽なように見えます。

しかしそれは、砂の上に家を建てるようなものです。

イザと言う時に倒れます(27節)。

土台の違いが結果に表れます。

キリストを土台として生きる人は、洪水や風という試練や誘惑によって倒されることのない人生を築くことができます。

それほど、イエス・キリストは「権威ある」お方です(29節)。

私達を変えるお方です。

マタイ5章からこのことを振り返って見ましょう。

[1]たとえキリストのためにののしられても、それ以上の御国を私達に備えておられるお方です(マタイ5:11)。

[2]私達を「世界の光」とされます(同14)。

なぜなら、キリストご自身が光であり、そのキリストが私達のうちに住んで、私達自身をキリストのご性質に預かるような光とされるからです。

[3]正にそのためにキリストは「来た」お方です(同17)。

「来た」という事は、キリストが本来この世のお方ではないという事を示しています。

キリストは永遠の御国から来られたお方です。

この世の試練や誘惑に支配されない偉大な力を持っておられるお方です。

「罪から来る報酬は死」(ローマ6:23)というおきてによって、当然罰せられるべき私達の刑罰を全て負い、神の律法のあらゆる要求を満たして律法を「成就するために」来られたお方です(マタイ5:17)。

 あなたは、このイエス・キリストのことばにどのように応答するでしょうか

単に驚くだけでしょうか(マタイ7:28)。

それとも、キリストの前に「ひれ伏す」人でしょうか(8:2)。
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あなたがたは神の神殿  マタイ7:24~29

私達が救われたという事は、イエス・キリストという土台の上に自分という家を載せたことです。

かつては土台の無い人生、あるいは信じる価値のないものの上に人生を築いておりました。

救われると、その家をキリストを信じた者にふさわしく改造したいとの思いが出てきます。

それが、潔めの第一歩です。

その建築に際し、心がけるべきことがあります。

[1]何を土台としているか(10~11節)。

たとえキリストを信じて救われても、油断するといつの間にか自分が土台となったり、

この世の欲が土台となります。

[2]どのように家を建てるか(12~13節)。

家を建てるには設計図が必要です。

クリスチャン生活の設計図は聖書です。

聖書は、もし憎まれているようなことがあれば、こちらから出かけて和解をせよとあります(マタイ5:23)。

キリストはあらゆる人生の嵐を静めるとあります(詩篇107:28~29)。

これらのみ言葉を土台としてあらゆる問題に当たるべきです。

そうすることによって丈夫な家が出来上がります。

[3]どのような家を建てるか(14~15節)。

家の材料によっては、火災で焼け落ちます。

しかし、キリストの栄光を目指した人生は残ります。

永遠に価値あるものです。

讃美歌作詞者のファニークロスビーは、生後6週間で失明しましたが、

8才で救われて95年の人生を送りました。

結婚して2才の子供を失うという悲しい出来事もありました。

新聖歌の500曲中、24曲はそのクロスビーの作詞によるものです。

彼女の生きざまが、100年経った今でも多くの人々を励まして神への賛美に導かれております。

また、彼女をそのように信仰に追い立てたものは、彼女の母親と祖母です。

また、400年前のジョンミルトン(「失楽園」の作家)の人生です。

 「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか

(16節)。主は、あなたを神の神殿にしようとしておられます。
























新しく生まれなければ ヨハネ3:1~16

ユダヤ人の指導者、ニコデモが「夜」キリストのもとに来たとあります(2節)。

ここには“昼にではなく”夜来たという意味が含まれています。

様々な事情が考えられますが、「夜」はニコデモの心にある闇を示しています。

[1]ユダヤ人の指導者ならではの闇。

彼は、人々に律法を教え、神の前に正しく歩むことを教える指導者でした。

人に教えれば教えるほど、自分が神の教えを守っていないことが示されます。

これが、人間の心の中にある罪です。

この心の闇を解決したい、何とかキリストに教えてもらいたい・・その渇きが彼をキリストのもとに導きました。

[2]自分の知識が絶対と思い込んでいる闇。

ニコデモに向かってキリストは、教えを守るためには救いが必要であることを告げました。

つまり「新しく生まれなければ」神の国には入れないということです。

しかし、この言葉にニコデモは戸惑います。生まれ変わるためには母の胎にはいらねばと思いました(4節)。

これは、彼の知識の限界です。神のなさることは、人間の知識や理解力では分かりません。

人間の知識や能力には限界があることを認めるべきです。

これを認めない傲慢の闇が人間の内にはあります。

[3]神の恵みの世界が見えないという闇

「どうして、そのようなことがありうるのでしょう」とニコデモは言います(9節)。

新しく生まれ変わる・・・つまり、汚れた人間が努力や修養なしに神の国に入る者に生まれ変わるようなことは起こらないとニコデモは信じておりました。

しかし、神の恵みの世界では起こります。

「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(3節)。

キリストは、私達の為に死んでまでも私達の罪をご自分の身に負い、私達を新しく神の子どもとして生まれ変わらせてくださるのです。

これが、恵みの世界です。

闇から解放されて、人知を超えたキリストの恵みの中を生きてみませんか。
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