主の愛に応答して生きる

ヨハネ21:15~19 

ペテロは、イエス様を裏切ってしまった出来事によって、罪責感を持ち、苦しんでいた。

イエス様のお取り扱い(21:15~18)

イエス様は、そんなペテロの気持ちを全て知っておられて、ペテロに「あなたは、わたしを愛しますか」と3度、あえて、同じ質問をなされた。

これはペテロの3度の裏切りに見事に対応している。

イエス様はペテロの心の傷をいやし、取り扱い、彼を立ち直らせた。

主の愛に応答する(21:15~18)

ペテロはイエス様の3度の質問の度ごとに、「はい、主よ。わたしがあなたを愛する事は、あなたがご存じです」と答えて、心を痛めて、主の愛に感謝し、信仰を持って、主の愛に応答した。

イエス様が将来ペテロの殉教を預言された通りに、彼は主を愛する生涯を全うした。

イエス様は私達にも、御言葉を通して、私達の名前を呼んで「○○、あなたはわたしを愛しますか」と聞いておられる。

イエス様からの献身の再召命(21:19)

ペテロは、イエス様から「罪の赦し」の確信と「愛のお取り扱い」を頂いた後、「わたしに従いなさい」と言われて、「献身の再召命」を頂いた。

また、「(イエス様の)羊を養う」という新しい使命を頂いた。

イエス様は私達一人一人にも、それぞれに大切な使命を与えておられる。

私達も日々、与えて頂いている主の愛と恵みに感謝して、「主の愛」に応答して生きる者となろう。

ペテロは、イエスが三度『あなたはわたしを愛しますか』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。『主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」
(ヨハネ21:17)
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心砕かれたもの 創世記32:22~28

聖書にでてくる「砕かれた者」について考えましょう。

ヤコブ(「かかと」の意味)は、その名の通り、人を押しのけ、神を押しのけて自分の力と知恵でやってきた人でした。

しかし、長く離れていた故郷に帰ろうとしていた彼の前に思いがけない困難が立ちふさがりました。

彼から長子の特権をだまし奪われた(創世記25章)兄エサウが大勢の者を引き連れて向かって来たのです。

しかもこの緊迫した中で、彼は神の取り扱いを受け(同32:22~28)、ももを痛めてまともに歩けない状態でした。

この時、初めて彼は真剣に祈ります。

「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」と。

つまり、神無しでは私は生きていけませんと、神の前にへりくだったのです。

彼は、この時、神の前に砕かれました。

つまり、自分の真の姿をありのままに認めたのです。

エレミヤは、自分の預言したことがことごとくイスラエルの民に受け入れられず、もうみ言葉を語るまいと決心しました。

人は自分の願い通りに事がすすまないと、自暴自棄になりやすいものです。

しかし、彼は「主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて・・・耐えられません」つまり、みことばを語らずにはおられませんと告白しています(エレミヤ書20:9)。

エレミヤも砕かれました。自分の思い通りに事が進まなくても主の御心を優先させますとの心です。

ヨブは自分の体に与えられた苦しみの中で、なぜ神の前に正しいはずの自分を神が苦しめるのか、その理由が分からずに苦闘しました。

その彼がたどりついた結論は、真に正しいのは神だけであり、人間は神のなさることを完全に知ることはできないという事でした(ヨブ記33:12~13)。

自分の能力、思い、知識・・・それらを神にささげ、神に従う時に砕かれた歩みが始まります。

そのような人と神は共におられます。

主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる」(詩篇34:18)
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