神の恩寵   Ⅱ列王25:27~37

 イスラエルの王、エホヤキンは他の多くの王と同様に「主の前に悪を行った」(24:9)王でした。

やがてイスラエルの民はバビロンに捕囚となり、王は投獄されます。

これは不信仰という罪の結果です。

しかし、彼のその後の生涯は、キリストを信じたクリスチャンの雛形とも言えます。

エホヤキン王は

[1]37年の牢獄生活から突然釈放されました(27節)。

なぜ、彼が釈放されたか理由は何も書いてありません。

ただ、バビロン王の特別な判断によるものです。

私達が救われるのも同じです。 

救いは、私達神の恵みを受けるに値しない者に一方的に与えられる神の恩寵です。

[2]王からやさしいことばをかけられました(28節)。

キリストは、私達に語りかける神です。

罪赦されても、弱さがあり、試練に悩まされるような私達を、やさしく抱きしめるような愛を私達に与えられる神です。

[3]バビロンでの位を高くされました(28節)。

新約聖書にあるように、キリストを信じた私達はやがて御国が来るときに、キリストと共に王となってこの世を治めるものです(黙示録20:6)。

[4]囚人の服を着替えさせられました(29節)。

救われた者は、長年身に着いた汚れた思いや行為を脱ぎ捨てたいと思います。

そして、キリストを着ることができます。

「あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです」(コロサイ3:9~10)。

さらに復活の恵みがあります。

その時、私達は今の体を脱ぎ捨てて栄光の体を着るのです(Ⅱコリント5:2)。

[5]日々の必要を王から支給されていました(30節)。

私達は、明日のことを心配する必要はありません。

恵みの蓄えが無くても、主がその時その時必要な助けを与えられるからです。

日々、私達を愛し、導き、養われるキリストに期待しましょう。

「汝のちからは汝が日々に求むるところにしたがわん」
             (申命記33:25 文語訳)

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真実な正しいさばき  ルカ6:37

 母親が子供に目を注ぐように、神は私達を見ておられます。

決して冷たく厳しい神ではありませんが、神は私達をさばかれます。

神は、全世界をさばくお方です(創世記18:25)

人間の心の奥底を知り、正しくさばかれます。

ですから、私達はその神のさばきを待望することができます(Ⅰサムエル24:15)

神が正しくさばかれることは、神の本質です(詩篇36:5~6)

この神の前に私達はどのようにあるべきでしょうか。

ルカ6:37はこのことを述べています。

「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。

人を罪に定めてはいけません。

そうすれば、自分も罪に定められません。

赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」

私達は、終わりの日の正しいさばきと報いを受けるのですが(Ⅱコリント9b~10)、その途上にある者として歩むべきです。

次の点に注目しましょう。

神の真実な正しいさばきがあります。

[1]人間の最終的な行く先が決まるさばきです。

つまり、キリストを信じて罪赦された者か、否かです(ヨハネ3:16~18)。

[2]罪赦され、神の子とされた私達を懲らしめるさばきです(Ⅰコリント11:31b~32)。

私達が罪を犯し、神に背くような道を歩む時に、神は愛の故に懲らしめられます(黙示録3:19)。

神の子をご自身の栄光に預からせるためです。

[3]「報い」というさばきです(Ⅰコリント5:9~10)。

キリストに従って生きてきた神の子には報いが準備されています。

「よくやった。良い忠実なしもべだ。

あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。

主人の喜びをともに喜んでくれ。」(マタイ25:21)

私達は、罪の刑罰を免れた者です。

神に愛されているものです。

神の与える報いを期待して進みましょう。

危機と孤独の時に出会う希望の光 Ⅱ歴代20章

日本は今危機と孤独の時と言えます。

解決の糸口はどこにあるのでしょうか。

旧約聖書・Ⅱ歴代20章にあるイスラエルの王ヨシャパテが遭遇した想定外の危機からこの事を学びましょう。

[1]イスラエル王国の危機(1節)

ヨシャパテ王は、この時代の王の中で比較的に信仰深い王でした。

19章では人々を神に立ち返るように促しています。

「この後」(1節)、想定外のことが起こりました。

モアブ人などの異民族の襲来です。

しかし、日本と違って陸続きのイスラエルにとって、実はこの襲来は起こり得ることでもありました。

ルカ21章では、今後起こり得ることを警告しています。

戦争や疫病、大地震や大津波などです。天地は滅びるとまで、将来の危機を警告しています。

「天地は滅びます。しかし、私のことばは決して滅びることがありません」(33節)。

[2]ヨシャパテ王の孤独(2~3節)

人々は危機の迫っていることを王に告げて対応を迫っています。

人々は告げて、指示を待てば良いのですが、王は一人でこの問題に処さなければなりません。

指導者は、ある時は大変な孤独な立場に陥れられます。

指導者でなくても、自分の問題にどうすることも出来ずに、孤独死を迎えるお年寄りが多いと聞きます。

人間にとって、孤独は大きな問題です。
 
[3]危機と孤独の時はチャンスでもあります(3、12節)。

危機が大きく暗いほど、頼りになるお方の光が見えてきます。

あなたが孤独であればあるほど神との親しい関係が可能です。

イスラエルの人々は、迫り来る危機の中で主の助けを求めました(3節)。

ヨシャパテは「私たちとしては、どうすればよいかわかりません。

ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです」祈りました(12節)。

結局、神を「あなた」と呼べる神との関係がヨシャパテとイスラエルを危機から救ったのです。


キリストを信じる者は、罪を赦されて神の子とされ、いつでも「主よ、あなたは」の祈りが出てくるのです。

これがキリストによる救いです。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ6:23)

キリストを救い主として受け入れて下さい。

神の子であるとの確信が与えられます。

「主よ」と心の底から叫ぶことができます。

危機に備えましょう。

神さまは完全  マタイ5:43~48

あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」(48節)

「完全でありなさい」と言われると、一見私達は退いてしまいます。

しかし、ここで言う「完全」とは44節に「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」とあるように、誰をも分け隔てなく愛せよということです。

難しいようで、実は神の助けを得ると可能です。

そして、何よりも平安です。

[1]私達は人を差別します(43節)。

「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」とこの世では言われます。

そして、人の表面的な行動や言葉で「隣人」か否かを決め易いものです。

隣人としてふさわしい人は愛するが、そうでなければ無視したり、恨みや憎しみを抱くようになります。

これが神を離れた罪人である人間の性質です。(ローマ8:34)。

[2]神は人を差別しない完全なお方です(45節)。

その証拠に太陽は善悪にかかわらずに、全ての人を照らします。雨は人を選ぶことをしません。

最大の証拠は、キリストが全ての人の罪の身代わりとなって死なれたことです。

「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:7~8)

キリストは十字架の上で祈られました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)。

[3]神は、私達を完全な者にするほど完全なお方です(48節)。

このキリストの贖いによって罪を赦された者の内にはキリストが住んでくださいます。

そして、神の子であるとの意識を持って過ごすことが出来ます。

「天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。」(45節)とある通りです。

キリストが父なる神に愛されたように、私達も愛されていると思う時、人を分け隔てなく愛することができます。
 
「完全」は不可能ではありません。
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