だから・・・心配は無用 

だから、あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。
 労苦は、その日その日に、十分あります
」 
   (マタイ6:34)

人間は、神から「想像力」という能力を頂いております。

それは、あらゆる方向の可能性を心に描くことです。

しかし、この能力を正しく働かせないと悲観的な想像から思い煩いを生じてやきもきしたり、その反対に楽観的な想像から安易に陥ります(申命記8:11~14)。

思い煩いは、
[1]私達が生きるためのエネルギーの浪費です。

聖書は「あすのことはあすが心配します」つまり、あすの事は明日心配すればよい、今取り組むべきことをせよと言っています。

[2]神よりも自分が先走ることです。

あすのことを自分が心配しているということは、神よりも自分が先に進み、神に委ねることを忘れているのです。

神は私達の将来を心配しておられるお方です。

「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることができないような試練に会わせるようなことはなさいません」                                         (Ⅰコリント10:13)

「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した」(エレミヤ書31:3)と聖書にあります。

このお方を信頼し、委ねることが大切です。

ルカ12章には、豊作で得たものを新しく作った倉に納めて安心している人が、神に責められている記事があります。

豊作に至るまで、彼は種を蒔き、収穫に向かって忠実に働きました。

これは、人間にとって必要なことです。

「神に委ねる」とは神の定めに従った働きをしないで、豊作を待つことではありません。

また、豊かな蓄えがあっても、絶対大丈夫というものでもありません。

いかなる時にも神に委ねることが必要です。  

私達の全責任者である主を見上げ、委ねて歩みましょう。

心配は無用です。

主のすばらしさを味わい、これを見つめよ・・彼を恐れるものには乏しいことはないからだ」                                      (詩篇34:8~9)
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迷いの無い人生   詩篇16篇

支援物資を届けた女川の町
 先々週、東日本大震災のお見舞いと物資輸送のために宮城県の女川まで行ってきました。

東京から車でしたが、カーナビが搭載されていたお陰で、大変助かりました。

行く先の電話番号を入れるだけで迷わずに目的地まで案内してくれます。

私達の人生も、迷わないためにカーナビや地図が必要です。

[1]私達の人生では何を地図とすべきでしょうか?

詩篇16篇の記者は「あなたに身を避けます」(1節)と言っています。

「ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう」(4節)とも言っています。

「神」とは信じられるもの、いざという時に身を避けられるものです。

この世では安易に信じられているものがあります。

原発は安全、健康が第一、命あっての人生・・・しかし、今回の大震災でこれらのことばに疑問を感じる人が多いと思います。

何を信じるかは自由ですが、いざという時に何が頼りになるかを日頃から考えておくべきです。

[2]聖書は人生の地図です。

「わたしは助言を下さった主をほめたたえる」(7節)。

イエス・キリストは、復活して今も生きておられますので、私達に語り掛け、助言を与えられます。

著名人の聖書に対する言葉が残されています。

「神と聖書なしにこの世を正しく統治することは不可能である」(ジョージ・ワシントン)。

「聖書は生き物である」(ナポレオン)。

「聖書の中にはより確かな真理が存する」(ニュートン)。

[3]地図の正しい見方があります。

それは、地図上で自分は今どこにいるかということです。

それがわかると、目的地までの道筋が分かります。

聖書という地図を正しく見るために詩篇の記者は「私はいつも、私の前に主を置いた」(8節)と言っています。

それは、自分を神のもとに置くことです。

神が共におられることを信じてその声を聞いて歩もうという姿勢です。

そうすると、聖書の言葉が自分に語られていることに気付きます。

自分の行くべき道が見えてきます。

幸いなことよ。彼(キリスト)に身を避ける者は・・彼を恐れる者には乏しいことはないからだ」      
                                           (詩篇34:8~9)

あなたは神の栄光を見るⅡ ヨハネ11:38~45

キリストは、病気や災いを通して栄光を表される事を先週読みました。

そして、私達が思い通りにいかない時、どうしても進めないような時にご自身の栄光を表して下さいます。

さらに、

[1]試練を通して栄光を表されます。

今回の震災で地震、津波、そして原発事故という3重苦にあって、一時的に閉鎖を余儀なくされた教会が福島にあります。

しかし、彼らは避難所を転々としながら主を賛美しています。

周りの人々を励ましています。試練の時でも、神は素晴らしいお方なのです。


[2]弱さを通して栄光を表されます。

モーセは、最初自分の能力と力でイスラエルの民を救おうとしました。

しかし、人々は彼を受け入れず、彼は失望の中エジプトから逃げ出しました(使徒7:22~28)。

彼はミデアンの荒野に逃げたのですが、そこで自らの弱さを教えられました。

神は、そのモーセを用いてイスラエルをエジプトの地から救い出しました。

新約聖書にもこのことが示されています。

「主は『わたしの恵みは、あなたに十分である・・わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです」(Ⅱコリント12:9)。


[3]全人類の敵である死を破る事によって栄光を表されます。

キリストは、ラザロを墓からよみがえらせました(11:44)。

これは、キリストが死を破ったほんの一端にすぎません。

キリストは殺され、墓の中からよみがえり、今も生きておられます。

私達も死が支配しない体によみがえります(11:25)。

キリストは完全に死を破ることによって、神の栄光を表しました。

その前にキリストは、ラザロの墓の入り口の石を「取りのけなさい」と言われました(39節)。

死に対する考えを取り除くべきです。

人間には出来なくても、神には出来るという信仰に立つべきです。

信じる人に、神は栄光を表してくださいます。

もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」(40節)

あなたは神の栄光を見る (ヨハネ11:21~27)

 東日本大震災は、人間から考えると想定外のことであり、大きな災難です。

しかし、神の側から見るとさらに想定外のあわれみがありご計画があります。

人間の考えることと神のなさることとは大きな違いがあります。

ラザロに起こった災いを通してこのことを見ましょう。

[1]病気や災いは神の栄光に変えられる。
11章の冒頭で、ラザロは「病んでいた」とあります(2節)。

病気も災いも、私達にとっていやなものです。

しかし、キリストは「この病気は・・神の栄光のためのものです」と言われました(4節)。

病気を通して人間は弱さを知り、災いを通して助け合うことを学び、神に目を向けます。

一見不幸と思われるようなものを通して、神は御手を延べてそれを益とし、神がほめ称えられるような結果を与えられます。

[2]思い通りにいかないことは神の栄光に変えられる。
ラザロの病気が重大なものであることを知った姉妹たちは、キリストに助けを求めました(3節)。

しかし、キリストは直ぐにかけつけませんでした。

その結果、ラザロは死にました。姉妹の一人マルタはキリストにつぶやいています(21節)。

しかし、この後、ラザロは墓の中からよみがえりました(44節)。

私達が思い通りにいかないとき、神は思いがけない別のご計画をしておられることがあります。

思い通りにいかないことを通して、キリストはご自分の栄光を表されるのです。

[3]人間がどうにも出来ないことが神の栄光に変えられる。
墓に入った人間に対して、人間は嘆くのみです(39節)。

しかし、人間的には絶望するような時でも、キリストはご自分にしかできないことを通して、神の栄光を表されます。

 今、苦しみの中にあるでしょうか。

思い通りにいかないことがあるでしょうか。

悲観しておられるでしょうか。

神ご自身がその問題を通して、あなたに働きかけようとしておられます。

「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る・・・・・・」(ヨハネ11:40)
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