主を見つめよ  ヨハネ14:1~9

主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。」(詩篇34:8)

「見つめよ」・・それはキリストを見つめる事です。

トマスやピリポは、長い間キリストを見ていました。

しかし。「見つめて」はいませんでした。

ですから、キリストの言われることが分かりませんでした(5節、8節)。

[1]キリストが言われる「場所」が分かりませんでした(1~5節)。

それは、「父の家」である御国の事です(2節)。

キリストは父の元に行き、私達のためにその場所を備えて私達を迎えると言われました(3節)。

この場所こそ私達の目標です。

目的地を知らないで人生と言う旅を続けるならば、それは空しいものです。

キリストを見つめ、自分の行く先を見ながら日々を送りましょう。

[2]父なる神のもとに行く道が分かりませんでした(5~6節)。

キリストを見つめる時に、その道が見えてきます。

それは、キリストの十字架の贖いの道であり、信仰によって歩む道です。

[3]何よりも、「父なる神」が分かりませんでした(7~9節)。

ピリポは「父(なる神)を見せてください」と言いました(8節)。

人間の考える神は見ることの出来る神、奇跡を行う神、自分の満足を与える神です。

人間の手で神を作ることも出来ます。

しかし、キリストは「私を見た者は、父をみたのです」と言われました(9節)。

キリストの生涯が神を示しています。

聖書を通して、そのキリストを見つめ、キリストを通して私達は神が見えてきます。

「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です」(コロサイ1:15)。

1節でキリストは「神を信じ、またわたしを信じなさい」と言われました。

この「信じる」の原語は「信じ続ける」という意味です。

神は、ずっと信じられる真実なお方です。

天地創造、全能の神、潔い神です。

また、キリストが「父」と呼ばれたように、私達にとっても「天のお父様」と呼べる親しいお方です。

キリストを見つめる時、父なる神が見えてきます。

自分の歩むべき道がわかります。

永遠の御国が見えてきます。

キリストを見つめましょう
スポンサーサイト

主の素晴らしさ   詩篇34章8節、22節

主のすばらしさを味わい、これを見つめよ

幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」

主はそのしもべのたましいを贖い出される

主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。」

                      (詩篇34:8,22節)

 8節を中心に詩篇34篇を読んできました。

34篇最後の22節に「主の素晴らしさ」の結論とも言うべきことがあります。

[1]主の素晴らしさの中心

①それは、私達が「贖い出される」ということです。

「贖う」とは、買い戻すという意味です。

奴隷や捕虜が解放されるためには、それなりの支払いが必要です。

キリストはご自身の尊い命を支払ってまでも、私達罪人を解放してくださいました。

②「罪に定められない」という恵みです。

私達に対する刑罰は、すでに十字架の上で終了しました。

私達には永遠の神の御国に入る望みが豊かに与えられています。

[2]主の素晴らしさの完全

「贖い出される」

「罪に定められない」とあります。

過去のある時に赦された、将来は分からない・・・と言う曖昧なものではありません。

過去も、今もそしてずっと赦されています。

キリストが私達のために執成しておられます(ヘブル7:25)。

その完全な救いを与えてくださるほど、キリストは素晴らしいお方です。

[3]主の素晴らしさを味わう者

 そんな素晴らしいお方を味わう道は一つです。

「主に身を避ける者」となることです(8節、22節)。

身を避けるとは、

①信仰に踏みとどまることです(コロサイ1:23)。

②主に委ねることです。

③主にある交わり(教会)の中に自分を置くことです。

 エジプトを出たイスラエルは、荒野でアマレクと戦いました。

剣を持って戦ったヨシュア達がいました。

彼らをモーセは祈りを持って支えました。

そのモーセをアロンとフルが支えました。

これが教会の姿です。

クリスチャンは一人ではやって行けません。

助け、助けられる者を通して主はご自身の戦いを進められます。

 贖われた者と共に、主に身を避ける者とさせて頂きましょう

 主の素晴らしさを味わいながら、進ませて頂きましょう

潜んでいる悪  詩篇34:21

悪は悪者を殺し、正しい者を憎む者は罪に定められる。」
                         (詩篇34:21)。 

テロ、ミサイルによる威嚇、殺人、詐欺・・世の中のニュースは悪者の話題であふれています。

では、聖書で言う「悪者」とは誰でしょう?

キリストを信じた私達も悪者になる可能性があります。

この事を民数記13章から学びましょう。

イスラエルはエジプトを出ました。

神は約束の地カナンを偵察に行くように12名の者に命じました。

[1]カナン偵察の異なった報告

ヨシュアとカレブ以外の10名は、カナンは乳と蜜の流れる地であること。

しかし、町には城壁があり、恐ろしい民が住んでいると伝えました(27~29節)。

一方ヨシュア達はその地を是非占領しようと言いました(30節)。

これに対して10名は反論します。

カナンの地の人々は強い。

私達は食い尽くされる(31~33節)と。

[2]潜んでいる悪

10人は決して殺したり、盗みのような悪は行っていません。

しかし、

①彼らの忘れているものがありました。

彼らはカナンの地から豊かな作物を持って来ました。

そのような良いものを備えて、彼らを待っておられる主を忘れました。

また、彼らは城壁や人を恐れています。

彼らは、紅海を信仰によって渡ったことを忘れていました。

自分達よりも強力なアマレクに祈りによって勝利した事を忘れていました。

②彼らは自分と他を比べました。

「私たちには自分がいなごのように見えた・・」と言っています(33節)。

ヨシュア達はちがいました。

共におられる主を見上げて「恐れてはならない」と民に勧めました(14:9)

10人の内には、「不信仰」という大きな悪が潜んでいました(ヘブル3:19)。

気付かないうちに、悪者となる危険があります。

[3]私達には選択の自由があります

エジプトに帰るか、約束の地に進んで行くかです(14:1~9)

ハバククは、困難と混乱の中で信仰によって生きようと決めました。

主にあって喜ぶことを選びました(ハバクク書3:18)

悪の潜んでいるこの世に於いて、世と悪魔に勝利したキリストを見上げて進みましょう

福音を喜び生きる  イザヤ61:1~3

落ち込んでいる時の良い知らせは、心を生き生きとさせます。

私達にとって最も良い知らせは、キリストが死んでよみがえったという知らせです。

この良い知らせ、つまり福音は罪の支配、人生の絶望から私達を救い出してくれます。

[1]福音の実現のためにキリストは来られました

1節にある「わたし」とは、キリストを指します(ルカ4:16~21)。

BC740年頃、預言者イザヤはユダの人々に国滅亡のメッセージを伝えました。

なぜなら、イスラエルは全能の創造主ではなく、自分たちの手で作った偶像を拝んでいたからです。

また隣国との同盟を頼りとしていました。

しかし、彼は福音のメッセージも伝えました。

そのような民に、キリストが来られて貧しい者に良い知らせを、心の傷ついた者を癒すとイザヤは語りました。

その預言通りキリストは福音を実現するために来られました。

[2]福音の中心は、キリストの十字架です

私たちは病気やけがをしたときは、その原因を探り、それにふさわしい処置をします。

同じように、この世界に蔓延している苦しみ、絶望感、争い、むなしさを引き起こすものは、私たちの内にある罪です。

その罪からの苦しみを癒すために、イエス様は十字架で苦しまれて死んでくださいました。

信じる者には救いが与えられます。

[3]福音は、すべての人に向けられています

2節には「すべての悲しむ者を慰め」とあります。

国や人種、文化、宗教を超えて、キリストの救いは求める者に与えられます。

神様の恵みは、すべての人に注がれています。

[4]福音は私達を新しく生まれ変わらせます

3節に生まれ変わった人の姿があります。

私達は、神に育てられた「神の栄光を現す」植木となります。

罪に支配された自己中心的な人生から、神が支配されるキリストを中心とする人生へと変えられます。

そこに真の喜びがあります。

主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」(詩篇34:8 標語)。

福音の素晴らしさを味わい、その喜びを伝えていきましょう。

されど土の器    詩篇34:20

主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。」(詩篇34:20)

人間の体の骨は子供の時約300個。

大人になると約200個だそうです。

その大事な骨・・・しかし、もろいものです。

その骨を主は守られます。

もろい私達・・・新約聖書でパウロは私達を「土の器」と述べています(Ⅱコリント4:7)。

この「土の器」とは何でしょうか。

[1]もろくて価値のないものです

土器はもろくて壊れやすいものです。

私達もしょせん土の器にすぎません。

鹿児島には美しい高価な薩摩焼があります。

しかし、土を焼いて固めただけの土器は、決して高級なものではありません。

神の手の中にあってこそ、私達は「高価で尊い」存在です(イザヤ43:4)。

[2]神に創造されたものです

神は陶器師です(イザヤ64:8)。

土器の材料は粘土です。

しかし、私達は偉大な陶器師である神によって創造されたものです。

弱くてももろくても、神は土器である私達を守られます。

その器に真の価値を与えて、真の強さを体験できるものとして創造されました。

私達はしょせん土の器、されど神の手による尊い土の器です。

[3]宝物を入れる貴重な器です

古代社会には、金銭や宝物を土の器に入れて保存する習慣がありました。

キリストを信じて救われた私達のうちには素晴らしい宝物であるイエス・キリストが居られます(黙示録3:20)。

そのキリストによって私達は神の「測り知れない力」を体験できます(Ⅱコリント4:7)。

「窮することはありません」

「途方にくれていますが、行きづまることはありません」(同8節)。

「見捨てられることはありません」(同9節)。

死ぬべき体でさえも、やがてキリストの復活のいのちによって、栄光の体に変えられます(同10~11節)。

私達は、しょせん土の器。

されど土の器であることを感謝しましょう。

なぜなら、イエス・キリストという真の宝物を持っているからです。
プロフィール

sawakei1

Author:sawakei1
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR