地の果てにまで(3)  

使徒1:4~8  イザヤ33:17~22     
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます

そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります
(使徒1:8)。

福音が私達の住む鹿児島にまで伝えられました。

私達一人一人が救われました。

そして、福音宣教の働きは聖霊に従った証人達によって進められてきました。

このみ言葉は、2千年経った今、このような形で実を結びました。

さらにこのみ言葉は、鹿児島から地の果てに向かって進められなければならない主の御業です。

なぜなら、イザヤが見た「遠く広がった国」(33:17)すなわち、神の国が到来するからです。

弟子たちもその神の国を待ち望んでいたことが分かります(使徒1:6)。

イザヤの見た「遠く広がった国」とは何でしょう?

[1]世界宣教によって地の果てにまで及ぶキリストの支配です

 弟子たちにキリストは「地の果てにまで、わたしの証人となります」と言われました。

エルサレム教会から始まった宣教の働きにより、世界中に教会が起こされ、クリスチャンが生まれました。

[2]私達の罪深い心の中にキリストの支配が広がりました

憎しみよりも愛。批判よりも執成し・・まだまだ奥深く神の国は浸透して行きます。

[3]この世とは霊的にかけ離れた遠い国です(33:18~21)。

 子供を虐待して死に至らしめる大変な事件が起こりました。

イザヤも、母親が子供を忘れる事があると警告しています(49:15)。

残念ながらこの世は、悪魔が働いています。

毒される危険があります(18~19節)。

神の国はそれらの事が過去の記憶になってしまう程(18節)、この世とはかけ離れた祝福に満ちた国です。

[4]神に愛される者たちの国です(33:17)。

 審き主である主が救い主となられました(22節)。

キリストを信じて罪赦された神の子たちは神によって「あなた」と呼ばれる愛の対象です(17節)。

神の国の住民です。

やがて神の国の麗しい王が来られます。

福音がさらに私達の身の回り、地の果てに伝えられる働きを担う者となりましょう。
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恐れを超えた愛     ローマ8:31~37

 太平洋戦争時、リトアニアの外交官であった杉原千畝氏の事がドキュメンタリーや演劇などで取り上げられています。

当時ポーランドのユダヤ人達はナチスの迫害を逃れる為にリトアニアに避難しておりました。

しかし、そこにもナチスの手が伸びてきました。

彼らは日本の通過ビザを用いて外国に逃れる道を必死に求めておりました。

当時ドイツと親しい関係にあった日本の外務省はビザの発給を禁止しました。

それで、押し寄せてきたユダヤ人達を見て杉原氏は悩みました。

外務省の訓令に従い自分の身の安全を得るか、良心に従い自らを犠牲にしてまでもユダヤ人を助けるか・・・。

結局彼は訓令に背いてまでも、ビザを発給しました。

その結果6千人以上のユダヤ人が救出されました。

 戦後を迎え、長い間彼は公職を追放される事となりました。

しかし、彼は自ら取った行動を後悔することなくこの世を去りました。

そして、その功績が今世界中から注目されています。

何が彼にこのような勇気を与えたのでしょうか

クリスチャンであった彼の判断の基準になったものは「神以外の何ものをも恐れない」という信仰から来る決断でした。

確かに神はおそるべきお方です

私達は患難や災害などの苦しみに支配されることがあります(35節)。

しかし、天地を支配しておられる神は、それらに支配されることのない偉大なお方です。

何よりも、全ての人の罪を裁くことのできる恐るべきお方です。

その目をごまかす事はできません。

 しかし、その偉大な神が最も偉大な事をされました

それは、ご自身の独り子イエス・キリストを私達の罪のために十字架につけられたのです(32節)。

そのイエス・キリストを受け入れる時に・・・

怖いはずの神が私の罪を赦し、愛しておられることが分かります。

「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」という確信が与えられます(31節)。

これが恐れを超えた愛です。

死に勝ち、罪を解決してくださったキリストによって、神以外に怖いものは無いという歩みをさせていただきましょう。

気をつけていなさい   ルカ17:1~6

 聖書は、神の愛を表すみ言葉が数々あります。

次のイザヤ書49章の言葉もそうです。

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。

自分の胎の子をあわれまないだろうか。

たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない」(15節)。

その主が・・・・・

ルカ17章で「気をつけていなさい」と弟子たちに言われました(17:3)。

それは以下のようなことです。

①「つまずき(罪の誘惑)が起こるのは避けられない。

だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ」(1節)。

この世は罪の誘惑がいたるところにあります。

私達は自分が誘惑に注意するだけでなく、他の人の誘惑になるような行動に気をつけるべきです。

②「もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい」(3節)。

仲間のクリスチャンが罪に陥ったなら、必要以上に問題が大きくならないように、回復のための努力をするべきです。

③「『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」(4節)。

たとえ一日に7度罪を犯しても赦してやりなさい、とは制限なしに赦しなさいということです。

 このきびしい言葉を聞いて・・・・

使徒たちは自分たちの信仰に自信が無くなったのでしょうか。

彼らはイエスに言いました。

「わたしたちの信仰を増してください」(5節)。

 それに対して・・・・・

イエスは言われました。

「からし種ほどの信仰があったなら」大丈夫ですと(6節)。

イスラエルのからし種は極小さな種です。

しかしその種に命があり立派な植物に成長します(マタイ13:31)。

私達に必要なことは単純な信仰です。

その信仰さえあれば、私達が気を付けなければいけないことを主が教えてくださいます。

主が私たちに望んでおられることを行う力を主は与えてくださいます。

主は、からし種ほどの信仰で良いと言われます。

私達を決して忘れない主は、その信仰が活用されることを期待しておられます。

地の果てにまで(2)    ルカ19:1~10

 「エルサレムから地の果てにまで」のみ言葉(使徒1:8)は世界中で実を結びました。

私達が住んでいる地に於いて。

そして私達一人一人が救われたという事実によってです。

 さらにこのみ言葉は「聖霊に従った証人」によって実を結んだことが分かります。
 
[1]「証人」とは、キリストを信じて救われたという証しをもっている人です。

つまり、キリストを信じた者は全員キリストの「証人」です。

[2]しかし「証人となる」ということは別の事です。

救われてもキリストを証しするためには、勇気が要ります。

ペテロのように、逃げ出したくなることがあります。

聖霊はそのような弱さを持った私達に臨んで力と勇気を与えます。

迫害を恐れて逃げ出したペテロも聖霊を受けて大胆にキリストを伝えました(使徒2章)。

[3]キリストはルカ19章で私達に証人となる模範を示されました。

現在飛行機であらゆる地の果てにまで行けます。

しかし、最後の距離は信じた私達と信じていない人との心の距離です。

そのような人の心を開き、信仰に導くための模範をキリストは示されました。

①取税人ザアカイを人々は悪人呼ばわりしていました(7節)。

しかし、キリストはザアカイを「失われた人」と見ています。

私達の回りのほとんどの人々は、神を見失っています。

ザアカイのように善悪の判断よりも己の欲が優先されています。

神に創造された本来の自分の姿を失っています。

②キリストはいちじく桑の木に隠れていたザアカイを見つけました。

彼を探していたからです(5節)。

③ザアカイという個人の名で親しく呼ばれました(5節)。

④ザアカイの為に一泊し、食事するほどの時間を取られました(5~6節)。

そのキリストの姿で、取税人ザアカイはキリストを受け入れて救われました。

「アブラハムの子」つまり神の子に生まれ変わりました(以上9節)。

 聖霊はこのキリストの愛を私達に注いでくださいます。

キリストのように人々に語り掛け、救いに導く器としてくださいます。

 私達は「失なわれた人」へのキリストの証人です

地の果てにまで  使徒1:4~8

今週ペンテコステの礼拝を迎えました。

ペンテコステは、聖霊降臨の記念の聖日です。

聖霊は、次のようなキリストの約束によってこの世に降りました。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。

そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)。

この「エルサレムから地の果て」は様々な形で実を結びました。

[1]聖霊を受けたキリストの証人達によって地の果てとも言える私達の鹿児島にまで伝えられました

エルサレムから鹿児島までは約9千キロあります。

東京鹿児島間を4往復半です。

その距離を飛行機は勿論、自動車も無い時代に福音を運んだ人々がいたからです。

まず日本への宣教ですが、まだ開国もしていない日本に宣教師達が入国しました(プロテスタント宣教元年:1859年)。

大河ドラマ「西郷どん」による西南の役は1877年(明治10年)です。

その翌年には鹿児島で最初の教会が設立されています。

私達の教会の前身である鹿児島ホーリネス教会は1927年(昭和2年)に設立されました。

戦争中、そのホーリネス教会は弾圧によって解散しました。

しかし、その働きは戦後再開されて今の私達の教会があります。

約2千年かけて「エルサレムから地の果て」が様々な地で形となったことを見ます。

[2]私達一人一人の救いと言う実を結びました

 記録によりますと、1886年(明治19年)の鹿児島県下の信徒数は184人とあります。

今その何倍もの人々が救いの恵みに与りました。

聖霊は多くの人々を救うお方ですが、その一人一人を救いの対象としておられました。

だから私達も信じて救われました。

天地創造の偉大な神は、私達一人一人にも目を留めておられます。

「また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。」(マタイ10:30)。

イエス・キリストはザアカイ一人を救うために時間を費やされました。

そして言われました。

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)。

 地の果てまで宣教の働きを達成される聖霊によって、その働きを担わせて頂きましょう
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